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「ニューヨーク近代美術館」 のテレビ露出情報

高松市で明日開幕する瀬戸内国際芸術祭の会場では作品が完成し準備が整っている。この日は国内だけでなく海外メディアの姿も見られた。瀬戸内国際芸術祭は3年に1度開催される日本最大級の芸術祭で今年が6回目、香川県の島々などを会場として256の作品が展示される。37の国・地域から約200組のアーティストが参加する。95歳のアーティスト川島猛さんは33歳の時活動拠点をアメリカ・ニューヨークに移し、ニューヨーク近代美術館にも作品が収蔵されている。1987年に展覧会のために香川へ帰省した川島さんが語っていたのはストイックなアーティスト像だった。競争が激しいニューヨークで50年以上1人で創作活動を続けてきた川島さんだが、その活動に変化をもたらしたのが瀬戸芸だった。瀬戸内の美しさや島の営みを共有したいという思いから男木島の古民家で様々な人達と作品づくりを始めた。川島さんにとって仲間との共同製作は新鮮な体験だった。9年前拠点をニューヨークから高松市に移し、市内にアトリエを構えた。合言葉は楽しくやろう。初回の瀬戸芸から延べ500人以上のボランティアと作品を生み出してきた。状況が大きく変わったのが3年前の瀬戸芸で、高齢の影響で作品制作が難しくなった。川島さんの思いを受け継ごうとしているのが古くから交流のあるファンや地元の人達。前回・今回で川島作品の新たな見せ方を工夫している。展示会場は男木島の古民家で、モチーフにしたのは川島さんのかつての4枚の作品だった。1990年頃ニューヨークで活動していた時期に作られたもの。部屋の壁を覆うようにレプリカを展示しパーツを立体的に配置していくことで、作品の世界に入り込んだ感覚を味わってもらうのが狙い。この日の制作作業は3時間かけて行われた。開幕まで1か月となる3月中旬、完成した作品を確認するため川島さんは男木島へ向かった。無事に到着し作品との対面、一つの作品にコメられた思いが人と人のつながりを通して伝わっていくという川島さんが追い求めるアートの本質が生き続けている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年10月14日放送 15:42 - 19:00 フジテレビ
イット!(ニュース)
パフォーマンスアートの先駆者マリーナ・アブラモヴィッチさんは1946年旧ユーゴスラビア生まれ。自身の体を使った表現活動を半世紀以上続け、肉体と精神の限界に挑みながら芸術の本質を追い求めてきた。ニューヨークで行われた85万人を動員したパフォーマンスでは約3ヶ月にわたり、700時間以上1500人超と見つめ合った。日本の古民家を改修した体験型の作品では宿泊者自身も[…続きを読む]

2025年10月11日放送 18:56 - 20:54 テレビ朝日
サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん今再注目の天才絵師 葛飾北斎 ミステリーSP
すみだ北斎美術館には北斎に関する作品が約2200点所蔵され、いま国内外から多くの人が訪れている。毎年ヨーロッパなどでは北斎展が開催され、今年は大河ドラマの影響で国内でも浮世絵ブームが到来。今年開催された浮世絵イベントは85件以上に上る。今回の博士ちゃんは国際北斎学会で特別顧問も務める目黒龍一郎さん。5歳から北斎に憧れ、朝5時から絵の練習を行っている。北斎は見[…続きを読む]

2025年10月4日放送 21:00 - 22:54 日本テレビ
せっかち勉強〜知らないとヤバイこと〜(せっかち勉強~知らないとヤバイこと~)
8位:大阪府。去年より1ランクダウンの大阪だが、まもなく閉幕する大阪・関西万博は大いに盛り上がった。ミニ鉛筆削りを作る工場は大阪だけ。それが中島重久堂。1960年代、ミニ鉛筆削りは国内で十数社が製造していたが、シャープペンシルなどの普及により激減。2013年、欧州最大の見本市に中島重久堂の鉛筆削りを出品したところ、“切れ味がまるで日本刀のよう”と話題に。ニュ[…続きを読む]

2025年9月20日放送 8:00 - 9:30 テレビ朝日
朝だ!生です旅サラダホラン千秋さんの旅
ホランは将棋の駒作りを始め木工業が盛んな天童市の家具メーカー「天童木工」へ。柳宗理の代表作「バタフライスツール」は、世界でも高く評価され、ルーブル美術館やニューヨーク近代美術館にも収蔵されている。ショールームでは様々な製品の座り心地を体験出来る。「プライチェア」に座ったホランは「滑らかな手触りと曲線が綺麗に整形されてる。」などと話した。

2025年9月12日放送 20:00 - 20:45 NHK総合
チコちゃんに叱られる!チコちゃんに叱られる!
「絵文字ができたのはハートマークをどうしても送りたかったから」について、大手IT企業の栗田さんが解説。絵文字はメイド・イン・ジャパン。栗田さんが携帯電話の絵文字を開発した。携帯電話が普及していなかった当時、通信手段はポケットベル(ポケベル)だった。数字からカタカナ、そしてひらがなへとやりとりが変化。その時に生まれたのがハートマークの絵文字だった。その後、漢字[…続きを読む]

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