一体誰がツタンカーメンの財宝を盗み出したのか。カーターの手記「ツタンカーメン発掘記」によると11月26日の行動について記述があり、カーターらは王墓を確認すると穴を塞ぎ帰路についた。そして王墓で見たものについて議論したという。手記には仲間内に関する記述しかなく、その夜、第三者に会った形跡はないため、本当に宿舎に戻ったという証拠がない。さらに記述には不審な点があり、穴から見えるはずのないものが書かれているという。
番組取材班はカーターの記述を検証。舞台はエジプト政府が直営する工場。ここではツタンカーメン副葬品のレプリカを作っており展示品として国内外の美術館に出荷されている。副葬品の実物を3Dスキャンし、データをもとに原寸大で再現。工場全面協力のもと王墓の前室を忠実に再現してもらった。そして検証がスタート。穴から見えたという三台の黄金のベッドは見えたが、右に見えたという二体の像は見えなかった。この二体の像は中に入らないと見えない。その後のタイムズの記事で26日の出来事について伯爵は中に忍び込んだことを告白。さらに取材班は仮説を決定づける証拠を入手。1948年に書かれたブルックリン美術館会報にはカーターが財宝を所有していたと書かれていた。
番組取材班はカーターの記述を検証。舞台はエジプト政府が直営する工場。ここではツタンカーメン副葬品のレプリカを作っており展示品として国内外の美術館に出荷されている。副葬品の実物を3Dスキャンし、データをもとに原寸大で再現。工場全面協力のもと王墓の前室を忠実に再現してもらった。そして検証がスタート。穴から見えたという三台の黄金のベッドは見えたが、右に見えたという二体の像は見えなかった。この二体の像は中に入らないと見えない。その後のタイムズの記事で26日の出来事について伯爵は中に忍び込んだことを告白。さらに取材班は仮説を決定づける証拠を入手。1948年に書かれたブルックリン美術館会報にはカーターが財宝を所有していたと書かれていた。