山梨県の標高737mに住む渡辺さん一家を訪ねた。暑くなる前のミツバチの分蜂シーズンだった。群れの数が増え、新しい巣に引っ越すという。家には大きなスズメバチが住んでいた巣があった。現在はスズメが住んで子育てしているという。夫・明彦さん(65)、妻・さとみさん(65)、長女・沙羅さん(32)、母・行野さん(90)の4人家族。取材スタッフがお土産に「東京ばな奈」を渡すと喜んでくれた。行野さんは毎日バナナを食べていると語った。一家は2つの理由で横浜から移住したという。移住理由を探るべく密着した。コンテナの中に廃材で作ったキッチンがあった。愛犬が人見知りで客は外でもてなすという。渡辺さんは他にも様々なものを自作して自給していた。トイレはドラム缶で自作。水道は使わず、排泄物は腐葉土と一緒に肥料になる。おしりは葉っぱで拭いている。キリの葉が良いという。電気はソーラーパネルで自給。移動式のニワトリ小屋も自作。ニワトリが除草・害虫駆除をしてくれるという。トラクターの燃料は天ぷらの廃油を利用。廃油はそば屋や友人が無料でくれ、濾過装置は自作した。米も自給している。畑ではゴボウや山わさびを作っていた。家族で畑をやったら他人任せで誰も草取りをしなかったので、父・母・娘がそれぞれ自分の畑を持ち、年間200種類以上を栽培しているという。米はもみ殻を燃料にした釜戸「ぬかくど」で炊く。畑で育てた作物でおかずを作って昼食にした。
渡辺明彦さんは1960年に神奈川県横浜市で生まれた。横浜の高校に進学し、バドミントン部でさとみさんと出会った。高校2年で交際を始めて26歳で結婚。明彦さんは雑誌の編集・ライター、さとみさんは服のパタンナーとして働いた。顔を合わすことができないほど忙しい日々の中、2人が33歳のときに長女・沙羅さんが誕生。横浜で幸せな生活を送っていたが、38歳のときに明彦さんの父・一成さんが脳卒中で半身不随となり車椅子生活になった。横浜は坂が多く、自宅にも段差があったので、山梨県北杜市へ移住した。虫好きの聖地と呼ばれ、自然が溢れるこの場所を夫妻は何度も訪れていたという。4世代6人が1つの家で生活し、両親のためにバリアフリーの家を建てたが、完成前に一成さんは78歳で亡くなった。明彦さんは車のレストアを雑誌の企画で担当していて、横浜ではたくさんの車を置けないため、広い土地のある北杜市を選んだという。現在もライターの仕事を続け、自給自足の魅力を伝える本を出版した。娘・沙羅さんは畑の野菜や花を販売して収入を得ている。一家は移住して本当に良かったと語った。
渡辺明彦さんは1960年に神奈川県横浜市で生まれた。横浜の高校に進学し、バドミントン部でさとみさんと出会った。高校2年で交際を始めて26歳で結婚。明彦さんは雑誌の編集・ライター、さとみさんは服のパタンナーとして働いた。顔を合わすことができないほど忙しい日々の中、2人が33歳のときに長女・沙羅さんが誕生。横浜で幸せな生活を送っていたが、38歳のときに明彦さんの父・一成さんが脳卒中で半身不随となり車椅子生活になった。横浜は坂が多く、自宅にも段差があったので、山梨県北杜市へ移住した。虫好きの聖地と呼ばれ、自然が溢れるこの場所を夫妻は何度も訪れていたという。4世代6人が1つの家で生活し、両親のためにバリアフリーの家を建てたが、完成前に一成さんは78歳で亡くなった。明彦さんは車のレストアを雑誌の企画で担当していて、横浜ではたくさんの車を置けないため、広い土地のある北杜市を選んだという。現在もライターの仕事を続け、自給自足の魅力を伝える本を出版した。娘・沙羅さんは畑の野菜や花を販売して収入を得ている。一家は移住して本当に良かったと語った。
住所: 東京都渋谷区渋谷3-8-10 JS渋谷ビル9F
URL: http://pixta.co.jp/
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