引退を決めた理由について、高原直泰は自分だけならやれるまでやりたいが、背中には沖縄SVのスタッフと選手の人生も背負っているから引退を決意したと話した。1週目の今夜はプレーヤー篇。高原直泰はプロ生活26年の間に10チームでプレーした。1998年、清水東高からジュビロ磐田に入団。開幕戦に途中出場すると、いきなりプロ初ゴールを決めた。しかし、ピッチには闘将・ドゥンガの姿があり、味方を怒鳴りつける鬼軍曹の洗礼を経験した。当時のジュビロ磐田は黄金期。代表の中心選手が多数在籍し、レギュラーをつかむのも容易ではなかった。このクラブを選んだ理由について、高原直泰はFWのポジションだけチャンスがあり、ここで試合に出られるようになったら代表につながると当時のコーチから言われ、入団を決意したと話した。高原直泰は万能型FWに成長し、入団3年目にはアルゼンチンの強豪「ボカ・ジュニアーズ」に期限付き移籍を果たした。アルゼンチンでの経験は内面も大きく変えた。それまでは積極的に人と関わらないタイプだったが、向こうではそのスタンスだと誰も相手にしてくれないと話した。沖縄SVのユニフォームはボカ・ジュニアーズを意識して作ったという。ジュビロ磐田に戻ると、2002年にJリーグMVPと得点王を獲得した。2003年にはハンブルガーSVに完全移籍。ドイツ初ゴールは連続無失点記録を更新中だったバイエルンのキーパー・カーンから奪った。バイエルンとの対決でディフェンスとの駆け引きを学び、トップレベルのすごさを感じたという。2006年、フランクフルトへ移籍し、ブンデスリーガで日本人初となるハットトリックを達成した。13年ぶり4人目の日本人として結果を残し、日本人がドイツでプレーする土台を築いた。日本に戻ると、様々なクラブに移籍し、2015年に沖縄SVを創設。社長・監督・選手としてチームをJFL昇格に導き、去年12月に現役を引退した。現在のJリーグのレベルについて、高原直泰は海外の選手が普通に来て簡単に活躍できるリーグではなくなったと話した。