- 出演者
- 勝村政信 高原直泰
オープニング映像。
今夜のゲストは元日本代表・高原直泰。黄金期のジュビロ磐田で得点王とMVPを獲得。ドイツでは日本人選手が活躍する道を切り拓き、“スシボンバー”の愛称で親しまれた。2015年には自ら「沖縄SV」を設立し、社長兼選手兼監督を務めた。去年、そのチームで現役生活を終えた。いま夢中になっているのは農業だという。2週にわたってプレーヤーと経営者の顔を大解剖。
引退を決めた理由について、高原直泰は自分だけならやれるまでやりたいが、背中には沖縄SVのスタッフと選手の人生も背負っているから引退を決意したと話した。1週目の今夜はプレーヤー篇。高原直泰はプロ生活26年の間に10チームでプレーした。1998年、清水東高からジュビロ磐田に入団。開幕戦に途中出場すると、いきなりプロ初ゴールを決めた。しかし、ピッチには闘将・ドゥンガの姿があり、味方を怒鳴りつける鬼軍曹の洗礼を経験した。当時のジュビロ磐田は黄金期。代表の中心選手が多数在籍し、レギュラーをつかむのも容易ではなかった。このクラブを選んだ理由について、高原直泰はFWのポジションだけチャンスがあり、ここで試合に出られるようになったら代表につながると当時のコーチから言われ、入団を決意したと話した。高原直泰は万能型FWに成長し、入団3年目にはアルゼンチンの強豪「ボカ・ジュニアーズ」に期限付き移籍を果たした。アルゼンチンでの経験は内面も大きく変えた。それまでは積極的に人と関わらないタイプだったが、向こうではそのスタンスだと誰も相手にしてくれないと話した。沖縄SVのユニフォームはボカ・ジュニアーズを意識して作ったという。ジュビロ磐田に戻ると、2002年にJリーグMVPと得点王を獲得した。2003年にはハンブルガーSVに完全移籍。ドイツ初ゴールは連続無失点記録を更新中だったバイエルンのキーパー・カーンから奪った。バイエルンとの対決でディフェンスとの駆け引きを学び、トップレベルのすごさを感じたという。2006年、フランクフルトへ移籍し、ブンデスリーガで日本人初となるハットトリックを達成した。13年ぶり4人目の日本人として結果を残し、日本人がドイツでプレーする土台を築いた。日本に戻ると、様々なクラブに移籍し、2015年に沖縄SVを創設。社長・監督・選手としてチームをJFL昇格に導き、去年12月に現役を引退した。現在のJリーグのレベルについて、高原直泰は海外の選手が普通に来て簡単に活躍できるリーグではなくなったと話した。
ここからは日本代表篇。U-16、U-17と各世代の代表に選ばれた高原直泰は1999年のワールドユース選手権に出場すると、3得点をあげ、準優勝に貢献した。この年代は黄金世代と呼ばれた。アイツには負けたくないという気持ちが成長を促した、より上を目指せる仲間だったと話した。中でも小野伸二は小学生時代からお互いを知る仲だった。小野伸二について、高原直泰はこっちが欲しいタイミングで素晴らしいボールを出してくれる選手だったと話した。2000年、A代表でアジアカップ優勝を果たした。2002年の日韓ワールドカップではエースストライカーとして期待されたが、直前にエコノミークラス症候群を発症し、メンバーから外れた。2006年のワールドカップ・ドイツ大会では強化試合のドイツ戦で2得点をあげるも、本戦では無得点に終わり、グループリーグ敗退となった。2007年、アジアカップで4得点をあげ、日本人初の得点王になった。日本代表では57試合に出場し、23得点をマークした。ドイツ大会を振り返り、初戦で負けたことが状況を厳しくさせたと話した。絶対的なストライカーが不在と言われる現在の日本代表については考えてもしょうがない、同じことを抱えている国はあると話した。沖縄SVで監督を経験した高原直泰は自分がこうやりたいけど、いる選手で何ができるのかを考えるのが大事だと話した。
「FOOT × BRAIN」の次回予告。
明治安田J1リーグ・第10節の日程を伝えた。
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