日本人の父親とフィリピン人の母親のもとに生まれた喜吾さん。今年4月に来日し、山形県の工場で働いている。父親には一度も会ったことがない。喜吾さんはどうして父親と生き別れることになったのかフィリピンで暮らす母親のジューヴィさんを訪ねた。ジューヴィさんはフィリピンパブのマネージャーをしていた男性との間に喜吾さんを授かった。ジューヴィさんは一人フィリピンへ帰国。突然男性からの連絡が途絶えたという。それでも喜吾さんは父親に会いたいと言い続けてきたという。喜吾さんが20歳に来日を決めたのはもうひとつの祖国の国籍を取得したいという思いがあったからだという。日本人は父親のみが日本人の場合は生まれたときに両親が結婚しているかそうでない場合でも未成年の間に申請すれば日本国籍を取得できるという。この日、支援団体のメンバーが喜吾さんを訪ねてきた。喜吾さんが生まれたとき両親は結婚していたことがわかり、国籍取得の見通しがたったため、そのことを父親に報告することに。父親は喜吾さんに会うことを受け入れなかった。喜吾さんは支援は求めずに、ただ会って会話をしたいのだそう。
日本の国籍をとって父親のそばで暮らしたいと願う女性にも出会った。まもなく20になる愛子さん。日本人の妻子がいた父。母がフィリピンに戻り出産したあとも度々愛子さんたちのもとをおとずれていたが愛子さんが10歳になったころ連絡を絶ったという。この日愛子さんは父の居場所へ面会しに行くことに。母親との関係が崩れたあと愛子さんのことを日本に呼び寄せようとしたが様々な事情から叶わなかったと父親は語った。父親は80代になっていた。愛子さんの国籍取得に協力するとした。申請が通るかはまだわからないという。愛子さんの20の誕生日は今月末にせまっている。
日本の国籍をとって父親のそばで暮らしたいと願う女性にも出会った。まもなく20になる愛子さん。日本人の妻子がいた父。母がフィリピンに戻り出産したあとも度々愛子さんたちのもとをおとずれていたが愛子さんが10歳になったころ連絡を絶ったという。この日愛子さんは父の居場所へ面会しに行くことに。母親との関係が崩れたあと愛子さんのことを日本に呼び寄せようとしたが様々な事情から叶わなかったと父親は語った。父親は80代になっていた。愛子さんの国籍取得に協力するとした。申請が通るかはまだわからないという。愛子さんの20の誕生日は今月末にせまっている。