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「フクちゃん」 のテレビ露出情報

河合優実、原菜乃華、瞳水ひまりはやなせたかしの母校である高知追手前高校を訪問した。同校のマスコットキャラはやなせがデザインし、教諭や生徒たちが制作した人形が飾られていた。1919年、やなせは長男として生まれ、5歳の時、新聞記者だった父親が急死する。弟は子どものいなかった叔父の家に引き取られ、後にやなせも叔父の家へ。母親は再婚することになり、離別する。「連続テレビ小説 あんぱん」で、河合は家族思いでしっかり者の蘭子、原は歌うことが好きなメイ子、瞳水は医院を営む柳井家の女中を演じる。原は「アンパンマンのマーチ」から感じられる哀愁はやなせの実体験に由来するのではないかと考えていた。
柳瀬医院の庭にはライオンの石像が鎮座していた。医院の真向かいに石材店があり、その親方が依頼をもとに掘ったものの、唐獅子と勘違い。行き場を失った石像は医院の庭へ運び込まれたという。建物は取り壊され、跡地に石像だけが放置されていた。免野田小学校の生徒たちが調査をし、やなせとの交流が始まることとなった。石像は学校に寄贈され、やなせは故郷のPRに尽力した。柳瀬医院は社交場のような役割を果たし、持ち寄ったお菓子や果物は子どもたちにも分け与えていたといい、アンパンマン誕生のきっかけといえるかもしれないという。なお、「あんぱん」では吉田鋼太郎演じる釜次が石材店を営んでいる。
やなせは中学時代、運動部を転々とするなど、当時を「暗黒時代」と回想している。弟の千尋は成績優秀、文武両道で、やなせは劣等感を抱いていたという。そんな時、若手漫画家グループの展覧会に足を運ぶ。グループの中心人物は横山隆一で、やなせにとって先輩。「フクちゃん」を連載するなど、20代半ばで売れっ子漫画家だったという。やなせはマンガを懸賞に応募すると、一等となりお金をもらえた。一部を千尋に渡すと喜ばれ、やなせは優等生の弟に負けないものを見つけたという。「あんぱん」ではやなせと千尋のやり取りが描かれている。1944年、やなせは中国へ派兵され、空腹、飢餓感は耐え難いこと、正義とは何かと突き付けられたという。そして、やなせはひもじい人間に手を差し伸べることは不変の正義だと考えるに至った。
46年3月、やなせは高知に復員し、高知新聞社で記者として働く。向かいの席に座っていたのが小松暢で、のちに夫婦となる。やなせ、暢ら4人は幅広いジャンルを扱う雑誌を創刊し、やなせは表紙や挿絵を担当。暢は県選出の議員にスカウトされ、秘書として上京する。「先に東京に行ってるわよ」と言われたやなせは半年後、退社して上京する。漫画家として独立するもヒット作を生み出せないなか、暢は「かならずいつか認められる」とやなせを励ました。やなせの生家の跡地には夫妻の墓があり、アンパンマンが鎮座する。

他にもこんな番組で紹介されています…

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2024年7月10日放送 16:05 - 17:00 NHK総合
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