中邑は現在のスタイルになるまで紆余曲折あったという。格闘技をベースにしていたのでガチガチなプロレスファンからは嫌われたという。しかし格闘技ファンからはプロレスラーと言われ嫌われたと答えた。ヒールになったが大地震で人が死んでいく姿に好きなように生きていこうと決めたがそれが今だという。その最初のお披露目はメキシコだったと答え、コスチュームを用意してモヒカンに刈り上げたがマイケル・ジャクソンのようなプロレスラーが踊り狂って入場していると新日本プロレスに苦情があったという。その姿をみた日本のファンもどうしてしまったのか?と思われたがそこはやり切ればファンもそれを受け入れてくれるという。後を振り返ってしまえば終わりだと答えた。