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「マイロン・ショールズ博士」 のテレビ露出情報

確率論の始まりは17世紀のフランスでやり取りされたある一連の手紙だったとされている。当時のヨーロッパではコインなどを使った賭け事が貴族の間で大流行していた。確率論の誕生にはギャンブルが大きな役割を果たしていた。実際、数々の数学者がギャンブルをきっけかに確率について考え始めたという。3つのドアのうち、どれか1つを開けると賞品の車がある。あなたが1つドアを選んだ時、他の2つのドアからハズレのドアを教えてもらったとする。ここで選ぶドアを変更しても良いと言われたら変更する方が有利なのか。これは今から30年ほど前にアメリカの雑誌のコラムで話題となった問題。この問題に対してIQ228のマリリンは変更する方が有利で当たる確率は2倍になると答えた。実際に検証してみるとマリリンの言う通り約2倍当たりやすくなった。
ギャンブルをきっけかに始まった確率論はその後、少しずつ数学らしい理論へと発展していった。そして20世紀、まだ見ぬ未来やランダムな現象を可能な限り予測することを目指した「現代確率論」へと進化した。アインシュタインが発表したブラウン運動に関する論文がきっかけの1つとなった。その後、アインシュタインの理論をヒントに数学者たちがブラウン運動を正確に表現する方程式を模索し、「粒子の動き=予測可能な動き+予測不可能な動き」という方程式を発見した。しかし、不規則な部分が複雑で微分・積分など方程式を解く手段が使えなかった。そんな時、日本の数学者・伊藤清がランダムな部分にも微分・積分を使って方程式を解く方法を示し、計算を簡単に行うための「伊藤の公式」を導いた。
1970年代はじめ、世界経済は石油ショックなどに見舞われ、株や金融商品の値段がどうなるのか分からない時代になっていた。そんな時、ブラック博士とショールズ博士は株価のグラフとブラウン運動が似ていることに気づいた。最終的にブラック・ショールズ理論と呼ばれるリスクを抑え、金融派生商品の価格を見通す数式を完成させた。ただし、ブラック・ショールズ理論は数学に基づく様々な仮定や条件を前提としているため、現実の金融市場の状況によっては適用できない限界があると指摘されていた。しかし、ブラック・ショールズ理論がプログラムされた電卓やコンピューターを使った取引が加速、デリバティブと呼ばれる様々な金融派生商品が登場し、世界は巨大なマネーゲームへと突入した。その後、2008年にリーマンショックが起き、世界は深刻な打撃を受けた。

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