TVでた蔵トップ>> キーワード

「ミドリ薬品」 のテレビ露出情報

田中道子が向かったのは松本城から歩いて10分の場所にある中町通り。善光寺街道沿いに商店が集まるエリアで江戸や明治の耐火を経て取り入れた火災に強いなまこ壁の土層が美しい通り。独特な趣きの建築は松本の街に点在している。普通の木造家に建築の正面に手の込んだ装飾が施されている。この造りは重厚に見えるが、石に見せた洗い出しという左官の技。種石と呼ばれる砂利を石灰を混ぜた材料を下地のモルタルに塗り重ねて小手でならしていく。材料が乾ききらない適切なタイミングでブラシなどで洗い流すと種石のあたまが浮き出て天然石のような表情に。模様をつけたい場合はあらかじめ埋め込んでいた目地棒を材料が乾いてから外して施す。職人技で様々な風合いを出すことができるのが看板建築の特徴。ミドリ薬品は1927年に建てられた。
1923年に関東大震災が発生し明治以降最大規模の被害となり東京の街は焼け野原に。復興の過程で西洋風の衣裳を取り入れた看板建築が流行した。それを目の前にした人が地元に戻り、東京の建築を地元にも建てたいと頼んで作ってもらったと倉方俊輔は答えた。華美な装飾を施すなど、そのスタイルは様々で街の至る所に個性豊かな建築が生まれた。東京への憧れから始まった松本の看板建築は職人たちの高度な技で華やかに進化していった。次に向かったのは松本城のすぐ近く。1890年創業の料亭の割烹松本館へ。東京への憧れが形になった場所は昭和初期に建てられた鳳凰の間は、格式の高い場所で用いられる折上格天井には鶴が舞い、草花や鳥が見事な筆致で描かれる。この部屋をつくったのは松本館の二代目の宮澤信行。1931年に東京のできたばかりの目黒雅叙園を訪ねた。昭和の竜宮城と呼ばれた豪華絢爛なつくりに心を奪われ、地元にもこういう場所を作りたいと考えた。設計と監修を依頼したのは松本出身の建築家の太田南海。腕利きの職人を集めて5年の歳月をかけて作り上げた。床の間の彫刻が施された2つの床柱。左には長寿の桃の実を持つ西王母と、中国の軍人の東方朔の物語が。東方朔のヒゲの先から目元まで、豊かな表情で表現されている。右側には鯉の滝登り。諏訪神社の出しの飾りを譲り受けた。また南海がすべてを手掛けた葡萄をモチーフにした部屋は一面に葡萄の模様があしらわれた床柱や壁には葡萄の葉の形があしらわれている。ここはまさに松本の職人の集大成で、完成すると極上の宴会場として人々を楽しませた。鳳凰の間の舞台には満開の桜が描かれ、ぐるりと回って松の大木に変身する仕様に。明治から昭和にかけて続々と誕生し建物は松本の人の誇りが込められている。
住所: 長野県松本市中央3-3-15

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年4月20日放送 22:00 - 22:30 テレビ東京
新美の巨人たち新美の巨人たち
田中道子が向かったのは松本城から歩いて10分の場所にある中町通り。善光寺街道沿いに商店が集まるエリアで江戸や明治の耐火を経て取り入れた火災に強いなまこ壁の土層が美しい通り。独特な趣きの建築は松本の街に点在している。普通の木造家に建築の正面に手の込んだ装飾が施されている。この造りは重厚に見えるが、石に見せた洗い出しという左官の技。種石と呼ばれる砂利を石灰を混ぜ[…続きを読む]

2024年2月26日放送 19:00 - 20:35 テレビ朝日
帰れマンデー見っけ隊!!長野の城下町で飲食店探す旅
松本城の城下町で絶品グルメを探す旅。一行は中町通りで焼肉屋さんの情報を聴き込み。江戸時代から377年続く「おはきもの矢口本店」で情報を得た。途中の「おやき高峯」でおやきを味わった。
地元の人に聞いた焼肉屋さん「明月館」に来たが昼は営業していなかった。なわて通りには日本一の職人がいるピザ屋があった。カエル雑貨の専門店で再び焼肉屋さんの情報を聴き込み。「伝承焼[…続きを読む]

© 2009-2024 WireAction, Inc. All Rights Reserved.