大航海時代、ポルトガルは世界各地に船を送り出した。1541年、国王の要請を受け、宣教師のフランシスコ・ザビエルはリスボンを出発し、8年に渡る旅の末、日本に到着した。古都、コインブラにある大聖堂にはザビエルと大友宗麟の面会を描いた絵画が所蔵されている。ザビエルはキリスト教の布教を許され、教会を建てるための土地も与えられた。イエズス会の宣教師の記録を紐解くと、大友宗麟を「豊後の王」、「我らの大いなる友人」と記述している。イエズス会の活動はポルトガル、スペインの後ろ盾を得て行われていて、より多くの援助を引き出すため、布教の成果を誇張してでも報告する必要があったという。すると、西洋では大友宗麟が統治する豊後への幻想が膨らみ、九州全土を治める君主と考えられていた。