モーツァルトは5歳の時に初めて作曲し、翌年に欧州をツアーした。35歳という短い生涯のなかで「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」をはじめ600曲以上を生み出した。なお、ベートーヴェンは56歳まで生きて、作曲したのは約130曲ほど。モーツァルトは生涯の3分の1を演奏旅行に捧げた。録音機器がないなか、宮廷音楽家になるためには上流階級の前で生演奏のほかなかったが、生み出した曲は時代を先取りしすぎていて不評。そのため、作曲家、ピアノの個人レッスンなどで生計を立てていたという。家族や友人を楽しませる曲も作り、その中に「俺の尻をなめろ」がある。また、貴族に自らを売り込むため、パーティーも催した。モーツァルトはオペラ曲も手掛けてヒットを記録したが、約2000万円の借金を残して死去。