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「レイテ沖海戦」 のテレビ露出情報

ゲストの大森淳郎、武田徹を紹介。【ラジオと戦争 放送人たちの「報国」】のタイトルにある報国の意味について大森は、当時の放送スローガンは放送報国であり放送をもって国に報いるであり、太平洋戦争開戦の朝には当時の日本放送協会会長が職員を集めて訓示していたなどと伝えた。【ラジオと戦争 放送人たちの「報国」】を3ポイントに要点をまとめて紹介。ポイント「太平洋戦争の報道体制と内容」について大森らは、当時の国策の通信社であった同盟通信社が発信する原稿を話し言葉に変換して放送し、変換の際には国策的して国民を導くためのニュースにしていたなどと解説した。NHK放送博物館には当時のニュース原稿が保管されており、現ウクライナ領のドンバス地区でのドイツ軍とソ連軍の戦いを伝える原稿の一部を紹介した。当時の変換されたニュースをどのように人々が受け取っていたのかについて大森らは、疑わずそのままを信じた人もいれば、ある種の葛藤を抱いていたい人も居たなどと告げた。
【ラジオと戦争 放送人たちの「報国」】のポイント「アナウンサーたちはどう伝えたか」について大森らがトーク。1944年10月にサイパン島陥落から約3ヵ月にフィリピン・レイテ島の決戦が迫る中で放送された原稿の一部を紹介。大森らは太平洋戦争勃発前までは事実そのものを国民に差し出すことこそがアナウンサーの仕事なんだというのがアナウンス理論であったが、危機が迫ると戦争に勝たなければならないという主観を隠さず原稿に乗せるというアナウンス理論に変わっていきアナウンサー達自身が考えてアナウンス技法に変えていったなどと解説した。
【ラジオと戦争 放送人たちの「報国」】のポイント「敗戦をどう伝えたか」について大森らは、情報局という内閣直属のメディア統制する機関が当時はあり、情報局は敗戦は指導者が悪いからではなく、全国民の努力や忍耐が足りなかったからだと方針を立てて放送していたなどと伝えた。太平洋戦争後のメディアの戦争報道について大森らは、戦争報道の基準点をベトナム戦争報道に設定しており、あまり報道管制はしておらず、従軍取材も自由にさせているところがあり戦争の状況が伝わりやすい戦争報道だなどと解説した。また武田らは負けたと思った政府と軍は報道管制法をすごく周到に技術開発を進め、湾岸戦争の報道ではそれが機能していたが今度はジャーナリズム側に反省点があり、イラク戦争では戦場報道はできたが戦争報道はできなくなっていたと説明した。
メディアが今認識すべきことについて武田らは、政府が間違った判断をしているならばハッキリと指摘することがジャーナリズムの真髄でもあり、ジャーナリズムとして民放も含めて全てが公益性の側に軸足を置くことが必要で、それにより国に対して間違ったら間違いだと言えるような友人のような立ち位置がジャーナリズムの理想などと語った。2022年3月にロシア国営放送の女性職員が戦争反対の紙を掲げて政府批判したことについて大森らは、紙を掲げた女性職員は素晴らしいが、目の前で原稿を呼んでいるアナウンサーたちの困惑・恐怖・動揺などの入り混じった表情がより印象に残っているなどと伝えた。武田らは合理的に考えれば戦争を選ぶということ事態が異常であり、そのことを意識しつつ国営に協力することが大切などと語った。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年7月21日放送 18:30 - 21:54 テレビ東京
日本⇔南極35000km!南極観測船“しらせ”に乗せてもらいました!(日本⇔南極35000km!南極観測船“しらせ”に乗せてもらいました!)
南極観測船しらせは2023年11月10日に横須賀市から出発する。乗組員は出国行事に参加。艦長の齋藤一城さんをはじめ、乗組員は海上自衛隊の隊員である。今回の乗組員は180人、全国から集まった。乗組員は寂しさと不安を口にし、家族も寂しさを見せた。またしらせには途中寄港したオーストラリアで南極観測隊がが合流し、総勢255人で昭和基地を目指す。同行した番組スタッフは[…続きを読む]

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