松山さんが小学校3年生のときにロサンゼルスに移住したのは、父親が突然牧師になりたいと言い出したのがきっかけ。聖書を勉強するために留学のような形だったという。幼少期はヒスパニック系や黒人の友達が多くいてスケートボードなどで遊んでいたのが思い出だという。日本に戻ってからはスノーボードにはまったが、大ケガをしてしまい10か月ほどのリハビリをしたという。ここで終わりにしないとと考え2年後にはNYに行った。スノーボードで挫折をし、表現をしたいのだったらニューヨークに行こうと考えたのだという。下積み時代はお金もなく全て切り詰めて生活をしていた、タバコも止めて美容室に行くのも止めて坊主にしていたという。ニューヨークは人が作る文化の街という感じがする、毎日がドキドキする、当時は治安も悪かったがとてもセクシーで離れようと思ったことはないのだという。黒柳さんがNYに行ったのは70年代。黒柳さんは70年代のNYはたくさんの芸術家がいて面白かった、アンディ・ウォーホルとも知り合った、変な人だったと話した。松山さんはコロナ禍のNYは戦場のようだったという。当時は日本にいてNYに戻れなくなり、とにかくスタッフが心配だったという。松山さんは日本にいたのでできることを考え「Cluster 2020」という作品を作った。