- 出演者
- 黒柳徹子 松山智一
今日のお客様は美術家の松山智一さん。
世界で活躍している現代美術家の松山智一さん。日本を離れて23年になる、幼少期に3~4年アメリカで暮らして日本に戻り大学を卒業したという。松山さんの2つの作品がスタジオに登場し、解説した。ブルックリンのスタジオには自分で作った色が何千色もあり、それを織り交ぜている、1つの作品に数百色を使用しているという。大きい作品だと6~7mほどで、中ぐらいの作品でも3ヵ月ほどかかるという。無数の色を垂らして、乾いては垂らしてを繰り返しているのだという。日本人としてニューヨークで何ができるかと考えて掛け算をした作品になっている。衣類はアイデンティティを表現していて、言語以外でも自分たちの個性を表現することを掛け算のような形で衣類として表現しているという。松山さんは公共の場でも作品を作っていて、街並みも作品の舞台としている。2019年に巨大な壁画を描いて、細かなディテールを描き上げたのが自分がニューヨークにいるんだというのを描き込んだ作品になったという。
松山さんが小学校3年生のときにロサンゼルスに移住したのは、父親が突然牧師になりたいと言い出したのがきっかけ。聖書を勉強するために留学のような形だったという。幼少期はヒスパニック系や黒人の友達が多くいてスケートボードなどで遊んでいたのが思い出だという。日本に戻ってからはスノーボードにはまったが、大ケガをしてしまい10か月ほどのリハビリをしたという。ここで終わりにしないとと考え2年後にはNYに行った。スノーボードで挫折をし、表現をしたいのだったらニューヨークに行こうと考えたのだという。下積み時代はお金もなく全て切り詰めて生活をしていた、タバコも止めて美容室に行くのも止めて坊主にしていたという。ニューヨークは人が作る文化の街という感じがする、毎日がドキドキする、当時は治安も悪かったがとてもセクシーで離れようと思ったことはないのだという。黒柳さんがNYに行ったのは70年代。黒柳さんは70年代のNYはたくさんの芸術家がいて面白かった、アンディ・ウォーホルとも知り合った、変な人だったと話した。松山さんはコロナ禍のNYは戦場のようだったという。当時は日本にいてNYに戻れなくなり、とにかくスタッフが心配だったという。松山さんは日本にいたのでできることを考え「Cluster 2020」という作品を作った。
松山さんは奥さまとは学生の時に出会った、今は公私ともに手伝ってくれているという。美術家として活動することは職業にすると感情がつきまとう、感情をコントロールするのに妻に支えもらっている、自分自身でいられる時間を作ってくれていると話した。松山さんは芸術家は一発のホームランを打てることができてもずっとヒットを打ち続けるのは大変、持久走、持久走はいかに安泰している状況を続けるかが芸術家にとっては大事だと話した。松山さんはこれからの多様性を表現する上でメッセージを作品を介して伝えたいと考えているという。
エンディング映像。
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