桑江知子さんは返還前の沖縄で育ち、おばあちゃん子だった。家の周りがさとうきび畑で、祖父に連れられてさとうきびをその場でさいて食べていた。子守唄で沖縄民謡を聞いたことは記憶しているが、福岡でポップスを聞いて育った。祖母に「沖縄にいい歌がいっぱいあってちっちゃい頃は歌ってあげたのにちっとも歌わないね」と言われたことがきっかけで、40歳を過ぎてから三線を始めた。黒柳に三板を渡して、スタジオで少し演奏をした。祖母は97歳で長寿のお祝いをし、103歳まで生きた。今は往年の歌手らと共に全国を飛び回り、10年ほど活動を続けている。昼夜2公演の日もあり、大体総勢15組くらい出演する。移動中で公演が休み日は、ゴルフ、釣り、飲みのグループに分かれて休みの日を過ごす。姉と慕った葛城ユキさんが73歳で亡くなった。葛城さんが2020年に出演した映像を振り返った。妹みたいにかわいがってもらったという。