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「ロンシャンの礼拝堂」 のテレビ露出情報

戸田菜穂がやってきたのは丹下健三が設計した広島平和記念公園。デビュー作で戦後日本のあり方を世界に示した歴史的建築作品。敷地は南の平和大通りから北の原爆ドームまで。公園の主な建物3つあり丹下設計の広島国際会議場と2棟の広島平和記念資料館。本館は鉄筋コンクリート造で床を持ち上げて空間を作り柱で支える構造。これが公園の入場ゲートの役割をしている。渡り廊下で繋がったガラス張りの東館は柱と梁を強調しコンクリート造なのに、木造建築のような味わいがある。そして、公園の中央に立つのは原爆死没者慰霊碑。慰霊碑の向こうには原爆ドームが見え、元は産業奨励館という建物だったがすぐ上空で原爆が炸裂し無惨な姿になった。丹下はこの原爆ドームと、資料館と慰霊碑を一直線上に配置してシンボリックな平和の軸線を作った。その考えはどこから生まれたのか?丹下健三は東京1964年のオリンピックの会場や大阪万博の会場など国家的プロジェクトを担ってきた建築家。愛媛県・今治市で幼少期を過ごし、建築に目覚めたのは広島だった。九星広島高校時代に図書館で見つけたフランスの建築家ル・コルビュジエの本を見たと言うが、近代建築の基礎を築いた巨人でその代表的なものの1つがピロティ。一階を柱で持ち上げて、人々が自由に行き交う空間を考案した。モダニズム建築と呼ばれる大きな潮流を作った。その考えに衝撃を受けた丹下は、その作品に人の心を揺らすようななにかがあると語っている。丹下は東京帝国大学工学部建築家科に入学しその後前川國男建築事務所に入社した。41歳のときに広島平和記念公園で、人の心を動かす建築に挑んだ。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年1月27日放送 22:00 - 22:30 テレビ東京
新美の巨人たち新美の巨人たち
立原道造の詩集は1937年の初版以来永遠のロングセラーに。1914年に生まれた立原道造は荷造り用の木箱製造を営む生家に生まれ、幼い頃かから文才と画才に長けていて中学では芥川龍之介以来の秀才と誉れ高く、高校生になると小説家の堀辰雄に啓示するように。東京帝国大学の建築学科に入学し、同じ学部の一級下には丹下健三がいた。在学中には、建築学科の奨励賞の辰野賞を三年連続[…続きを読む]

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