明暦の大火は明暦3年1月18日に起こった。2日間で江戸の町を半分以上焼き尽くした。金沢工業大学で大きな被害が出た理由を最新技術で調査。火元は現在の本郷付近。3時間で2キロほどの地域が焼失した。この日の最大風速は推定で秒速20メートルで、消失した地域には木造家屋が密集していた。出火から9時間後、火は隅田川の河口に達したところで落ち着いたが、現在の小石川で第2の火災が発生した。出火原因で最も多かったのは放火だった。第2の火災も燃え広がり、江戸城に向かった。オランダ商館長のザハリアス・ワーヘナールは、大火の様子を書き留めていた。彼の宿舎は日本橋にあり、火災のど真ん中だった。さらに現在の麹町で第3の火災が発生した。最初の出火から48時間後、すべてを焼き尽くして海に達したところで鎮火。焼失面積は江戸市中の6割に及んだ。両国の回向院には明暦の大火の供養塔があり、本尊の台座には大火で命を落とした人たちの名前が刻まれている。死者は推定で5~10万人で、正確な数はわかっていない。ワーヘナールは大火直後の江戸の絵を描いた。
