2026年1月7日放送 22:00 - 22:45 NHK総合

歴史探偵
火災都市江戸のヒーローたち

出演者
佐藤二朗 片山千恵子 
(オープニング)
“火災都市”江戸のヒーローたち

江戸の町を繰り返し襲った大火は、時に江戸市中の6割を焼き尽くす大きな被害をもたらした。鳶や大工が火消となり、大火に立ち向かった。今回は江戸の火消の奮闘を調査する。

オープニング

オープニング映像。

“火災都市”江戸のヒーローたち
“火災都市”江戸 江戸の半分を焼いた明暦の大火

明暦の大火は明暦3年1月18日に起こった。2日間で江戸の町を半分以上焼き尽くした。金沢工業大学で大きな被害が出た理由を最新技術で調査。火元は現在の本郷付近。3時間で2キロほどの地域が焼失した。この日の最大風速は推定で秒速20メートルで、消失した地域には木造家屋が密集していた。出火から9時間後、火は隅田川の河口に達したところで落ち着いたが、現在の小石川で第2の火災が発生した。出火原因で最も多かったのは放火だった。第2の火災も燃え広がり、江戸城に向かった。オランダ商館長のザハリアス・ワーヘナールは、大火の様子を書き留めていた。彼の宿舎は日本橋にあり、火災のど真ん中だった。さらに現在の麹町で第3の火災が発生した。最初の出火から48時間後、すべてを焼き尽くして海に達したところで鎮火。焼失面積は江戸市中の6割に及んだ。両国の回向院には明暦の大火の供養塔があり、本尊の台座には大火で命を落とした人たちの名前が刻まれている。死者は推定で5~10万人で、正確な数はわかっていない。ワーヘナールは大火直後の江戸の絵を描いた。

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1657年3月4日火事にあった江戸市街の図ザハリアス・ワーヘナール万治年間江戸測量図両国(東京)京都大学回向院国文学研究資料館国立公文書館国際日本文化研究センター小石川(東京)岩本馨徳川家綱明暦の大火本郷(東京)東京大学東京都江戸東京博物館江戸城江戸幕府日記秋葉原(東京)金沢工業大学隅田川麹町(東京)

河合教授は、関ヶ原の戦いでも亡くなったのは6千人程度なので大火が起こったら戦乱よりも恐ろしいことになる、火事が起きると家を建て直すことになって建築関係の仕事が増え、貧しい人たちが仕事にありつくことができるので火をつけてしまうと話した。明暦の大火当時は、火消しの制度は整備されておらず、大名屋敷を中心に守る大名火消しかいなかった。この反省から定火消、町火消といった様々な組織が作られた。

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明暦の大火関ヶ原の戦い
“火災都市”江戸 火事が多発する背景にあったものは?

明暦の大火の翌年には江戸に定火消が誕生した。定火消の詰め所では男たちが丸太に横になって寝ており、火事が起きると丸太を叩いて起こしていた。これが叩き起こすの語源となった。定火消は町人たちが暮らす町はカバーできなかったため、大岡忠相が新たな消防制度を打ち出した。それが隅田川の西側を48,東側を16の地域に分けて消防組織を置き江戸全体を守る町火消だった。普段は町で働く鳶や大工で、ひとたび火事となればほぼ無給で自分たちの町を守るため火消となった。火事が起こると町火消たちは真っ先にまといを屋根にかけ、消火の目印とした。ヒラヒラした部分は馬簾と呼ばれ、火消の身を守る役割があった。火消の子孫である高柳さんは、燃え盛った火の恐怖はすごい、火の中に飛び込んでいく勇気は町衆からしたら格好よかったと話した。当時は建物を壊すことで延焼を防ぐ破壊消火が行われていた。町火消は火事場で重さ10キロの刺し子半纏を着ていた。龍吐水は西洋の技術を元に作られたポンプで、炎から火消を守るために放水した。火消たちは約半世紀で1万人体制に強化された。金沢市の消防団では、加賀鳶と呼ばれた火消のはしご上りの技が受け継がれている。

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万治年間江戸測量図京都大学四谷(東京)大岡忠相大手町(東京)岩本馨東京消防庁江戸城江戸消防記念会江戸町火消配置図消防博物館白山(東京)金沢市消防訓練場金沢市第二消防団金沢市(石川)隅田川
“火災都市”江戸のヒーローたち 大火と戦うための町づくり

加賀藩は鳶出身の優秀な江戸の町火消をスカウトしていた。歌川広重はもともと幕府に仕える御家人で、定火消を務めていた。吉原では遊郭で働いている人たちで火消しを組織していた。橋のたもとで営業する髪結いは幕府から橋専門の消火を行う橋火消に命じられていた。また延焼を防ぐため道の幅を広げた広小路を作った。

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上野広小路駅新板江戸大絵図東海道五十三次歌川広重[2代目]
(エンディング)
次回予告

次回予告。

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