歌人の岡野弘彦は101歳で亡くなるまでペンを取り、短歌を書き続けた。岡野は大正13年、三重県の神主の家に生まれ山の中で育った。中学は神主の子どもなどが集まる伊勢の神宮皇學館に入学。そこで生涯の師の文章と出会う。岡野弘彦は「源氏の研究の入門書のような『むらさき』という雑誌があり、折口信夫 ペンネーム釈迢空の短歌や俳句、詩が載っている」「この先生の学問と文学に深く触れてみたいと中学の4年5年から思い始めましてね」などと話していた。国学院大学に合格した岡野だが、1年生の秋、学徒出陣で招集される。昭和20年春、東京は空襲が相次ぎ、岡野も部隊の移動中に見舞われた。折口信夫は、戦争の傷がいえずにいた岡野が苦しんでいるのをみて「万葉集の東歌を全部暗記してご覧」と声掛けをしたのだという。文字の書けない民衆が口伝えしてきた歌に、岡野さんは心を打たれる。昭和28年、師の折口信夫が逝去し、岡野さんは食事も喉を通らないほど落ち込んだ。その翌年、洋子さんと結婚。昭和42年に歌集「冬の家族」を出版。翌年、現代歌人協会賞に選ばれる。昭和58年、皇室の和歌の相談役につく。昭和天皇の一首が心に残ったという。代表作「バグダット燃ゆ」は、2003年に始まったイラク戦争のニュースを見て書き始めた歌集。2011年、東日本大震災のときも歌を詠んだ。
