- 出演者
- 秋鹿真人 佐藤二朗 片山千恵子 河合敦
世界遺産となった奈良・藤原宮跡。話題の都・藤原京を徹底調査。かつて幻とされた都が最新技術で蘇る。藤原京を作った持統天皇の波乱万丈の人生に迫る。
オープニング映像。
佐藤は藤原京について、「藤原京が奈良の平城京にも匹敵する巨大な都だったというのは驚きましたね」などと語った。秋鹿は「藤原京を完成させたのが持統天皇。里中満智子さんの漫画の主人公としても知られていますね」などと語った。
藤原京の大極殿エリアの大きさが2025年の調査で初めて判明した。当時の測量技術は優れていて、藤原京は計画的に造られていた。今から100年前までどこに存在していたかわからず幻の都とも言われていた。1934年に巨大な建物跡が出土、長年の発掘で巨大な都の姿が明らかになった。後の平城京をしのぐ、約5km四方にもわたる。藤原京は天武天皇と持統天皇、2代にわたって造られた古代日本最大規模の都だった。
なぜ巨大な都を作る必要があったのか。中国や新羅に対する対抗関係があった。唐と新羅の連合軍が倭国に攻めてくるかもしれないという国際的な緊張状態にあり、国力を最大限に発揮する体制をどうのように整備するかが国家的課題だった。藤原京を造ることは強い国をつくるための悲願だった。宮殿や役所などに瓦を葺くようになったのは藤原宮から。国際標準の都を目指した。
佐藤は藤原京について「奈良の平城京よりも前に200万枚もの瓦を使った、あんな立派なな都があったというのは驚きました」、河合は「藤原宮の範囲の14%しか発掘が済んでいてなくて、これからいろんな発見があるかもしれない」などと語った。持統天皇が生きた時代は、皇族同士が天皇の地位をめぐって血なまぐさい殺し合いをしていた時代だった。
持統天皇の悪評の理由とは。天武天皇と持統天皇の最大の悩みは後継ぎ問題だった。ふたりの間には草壁皇子というひとり息子がいたが、ほかの妻たちから産まれた別の皇子がおり、中でも強力なライバルだったのが大津皇子。天武天皇と持統天皇は奈良・吉野に6人の皇子を集めて、天皇の後継者は草壁皇子と宣言した儀式を行った。
天武天皇が崩御すると、大津皇子が謀反を企てたと捕らえられ、自害した。この謀反事件は、いまでは持統天皇の陰謀だったという説が主流となっている。しかし、漫画家・里中満智子は異を唱える。大津皇子を許したとしたら、政府を二分することになってしまうため、国の安定を思えば判断しなければならなかったと語る。謀反事件後、草壁皇子が死去。持統天皇は新しい即位システムを取り入れた。これまでは豪族たちの推薦で即位する形だったが、天皇としての権威の源を天の神々に求めた。神として即位する形を制度化し、その後引き継がれていった。
佐藤は持統天皇が即位システムを大きく変えたことについて、「かしわ手を打って拝むというのは今、僕らが神社でやってることですけど、天皇に対して行なうことにしたと」などと語った。河合は、「皇族同士が軍事力を動員して殺し合うことは、以後500年近く起こっていないんですね。持統天皇の大きな功績のひとつ。」などと語った。また、古代の天皇の礼服は男女同じ形だったという説について、河合は「男女の別を超えた存在というふうに感じられるので、女性の天皇が力を発揮しやすい環境があったのではないか」なとど語った。
奈良・八木札の辻は持統天皇時代の一番の交通の要衝で、都と地方を結ぶ幹線道路の交差点だった。当時の道幅は23m。群馬県太田市で持統天皇時代の直線道路が見つかった。古代国家の力が地方にまで及んでいたことが判明した。また、鳥取県でも
