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「三原脩」 のテレビ露出情報

栗山英樹監督にインタビュー。優勝の瞬間、栗山の胸ににこみ上げたのは野球界の先人たちへの感謝だった。栗山は今年2月の代表合宿にも三原脩の書いたノートを持ち込んだ。常識を覆す采配は三原マジックと呼ばれ、ノートには三原の野球哲学が凝縮されている。栗山は三原が亡くなった1984年にヤクルト入団。メニエール病に悩まされ、29歳で引退。取材で名将を訪ね歩き、教えを請うた。約20年前の取材で、中西太が取り出したのが三原のノートだった。栗山は神様からのプレゼントだと思ったという。
野球の全てを一定の型にはめることはできない。栗山がその言葉を体現したのが大谷翔平との歩みだ。投手と野手の二刀流に挑んだ。三原は50年以上前に二刀流を実践していた。近鉄の永淵洋三を二刀流で使い、三原マジックと注目を集めた。大谷は日本ハムの投打の中心として日本一の立役者となり、大リーグでも歴史的な活躍をしている。
1月下旬、栗山は三原の命日を前に墓を訪れた。三原の起死回生のマジックとして今も語り継がれるのが、1958年の日本シリーズ。三原率いる西鉄は巨人に3連敗してから、稲尾和久の力投で4連勝し、大逆転を果たした。三原の教えを胸にWBCに挑み、日本は1次ラウンドを全勝。しかし村上宗隆の不振は栗山の誤算だった。栗山は村上の打順を4番から5番に変えたが、優勝するには村上の力が必要だと感じていた。最後はおまえで勝つと繰り返し伝え、迎えた準決勝の最終回で、村上に勝負を託した。村上は逆転サヨナラの2ベース。栗山の先を見通す洞察力が勝利を呼び込んだ。
三原マジックの原点とは。三原は2度戦地に赴き、曹長として多くの兵士をまとめた。三原と栗山をつないだ中西太は三原の愛弟子で怪童と呼ばれた。ノートを託して20年。今回の取材をきっかけに、中西の自宅から三原ノートの原本が見つかった。三原の自宅からも直筆の手記などが見つかった。栗山はこれらの資料を読み、三原マジックは最も確率が高く根拠に基づいたセオリーだという記述に注目した。WBC決勝のアメリカ戦。栗山は7人の投手リレーで臨んだ。リスクと隣り合わせの大胆な投手リレーこそが栗山の勝つためのセオリーだった。9回のマウンドには大谷を送り、日本は14年ぶりの世界一となった。栗山は、どうしても見たかった景色を選手のおかげで見せてもらったと話した。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年5月7日放送 20:54 - 21:54 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団(開運!なんでも鑑定団)
千葉・柏市在住の鈴木さんのお宝は「日本プロ野球 名選手のサインボール44個」。高校時代の恩師で、お笑いコンビ・めいどのみやげのティーチャさんから頂いた物。ティーチャさんは昨年、88歳で惜しまれつつ他界した。
1934年、正力松太郎がアメリカから大リーグ選抜を招聘。全日本チームは16戦全敗した。大日本東京野球倶楽部を発足させ1936年、7球団によるリーグ戦が[…続きを読む]

2023年12月31日放送 9:35 - 10:20 NHK総合
プロ野球 マジックの継承者たち(プロ野球 マジックの継承者たち)
栗山英樹氏に日本代表監督の就任要請があったのは2021年10月。10年務めた日本ハムの監督退任が決まった直後だった。日本代表監督のオファーが来た時点で栗山のゴールは「アメリカを倒して優勝する」ことに決まっていた。そのために周到な準備を開始。3~6月までは情報収集、8月には大リーガーとの交渉、11月からは戦略シミュレーションという計画を立てた。栗山は勝つために[…続きを読む]

2023年12月31日放送 8:50 - 9:35 NHK総合
スポーツ×ヒューマン(オープニング)
侍ジャパンを世界一に導いた栗山英樹監督。鮮やかな采配の原点にあったのは、伝説の名将の野球哲学の全てが記されているノートだった。ノートを書いたのは三原脩。4回の日本一を成し遂げた名監督だ。栗山監督がWBCで見せたのは、三原の教えを受け継いだ采配だった。

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