乗船オーバーを理由に日本政府からは帰国を許されなかった。とは言え支援を打ち出していた政府としても最終的な受け入れを拒むことは出来ない。施設不足などの問題ですぐには受け入れができなかったため、日本政府はフィリピン政府と協議し一時的に保護してもらうことに。宮城船長たちは急遽、首都マニラの港に向かうことになった。船には限られた食料しかなかったが、宮城船長は城瀬人と難民たちで平等に分けた。フィリピンに着くまでに難民たちの乗船者名簿を作成した。日本域を望む人はいなかった。36年が経ち宮城さんに一本の電話がかかってきた。2018年6月、与座宏章さんとう沖縄県の高校教師が出張で東京と訪れ、とあるレストランに訪れた。レストランの店長の名前は南雅和、日本に帰化する前の名前はジャン・タイ・トゥアン・ビン。
