岸・安倍三代と統一教会“組織的関係”の原点。1986年、統一教会と自民党の関係は更に深まる。岸、福田両元総理に連なる派閥の会長に安倍晋太郎氏が立ち、ここに安倍派が生まれた。教団側とのパイプも晋太郎氏に引き継がれる。1958年に初当選した晋太郎氏には落選の経験が1度だけあった。その落胆ぶりを知るのは安倍家と近しい元共同通信・野上忠興さん。1987年に行われた総裁選では竹下登氏、宮澤喜一氏と争うが、現職の総裁が次期総裁を指名する中曽根裁定で政権は竹下氏に。身をもって選挙の厳しさを感じた晋太郎氏は、より一層、教団側と接近していった。勝共連合の会合で選挙支援のお礼を堂々と述べている。ところが1990年代に入り、合同結婚式の異様さや霊感商法の悪質な実態が報じられ社会問題化した。議員のほとんどは表面上、教団と距離を置くようになる。晋太郎氏が世を去ると、岸元総理から続いたパイプも消滅するかに見えたが、父の死から2年、地盤を引き継いだ晋三氏が初当選する。晋三氏の胸には安保反対の声と戦い、新安保条約の締結を成し遂げた祖父の姿が焼きついていた。著書「美しい国へ」にも綴られた言葉を紹介。高校時代は安保に反対する教師に対して毅然と胸を張ったことも。保守を貫いた祖父を敬い、数の正義を信じた父に学んだ晋三氏。教団側との関係を引き継ぐのは当然の成り行きでした。官房長官時代、教団関連団体のイベントに祝電を送った記録(提供:鈴木エイト氏)も残っている。2006年に総理に就任したが体調を崩し1年で退陣。けれど5年後に返り咲く。2013年1月14日放送・TBSラジオ「政策情報 官邸発」の安倍氏の音声。祖父の遺志を受け継ぐ覚悟だった。最初の参院選に向け、統一教会幹部との面会で選挙支援について話し合った(2024年9月18日付・朝日新聞)。
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