日本航空高校石川の中村隆監督は、みんなの思いをのせて思い切って頑張っていきたいと思います、などと話す。石川・七尾市出身の福森誠也さんには特別な思いがあった。福森さんは祖母の早瀬舞子さんの家に帰省していたときに被災した。福森さんは家族とともに避難所に。能登空港に隣接する学校も被災し練習ができない状況になり、野球部員は山梨へ集団避難することになった。しかし福森さんは避難所を離れなかったという。避難所では掃除や炊き出しなどボランティア活動を行っていた。そんな高校球児のひたむきさに、避難所から感謝状が贈られた。日本航空高校石川の福森誠也さんは、自分以上に苦しんでいる方々がいるので、その人達に少しでも勇気を与えられるように自分は野球をしたいと思って決めました、と話していた。遅れること3日でチームに合流した福森さん。被災地の希望の光となるよう甲子園に出場する。七尾市の避難所で祖母の早瀬舞子さんは「ばあちゃんいつか必ず甲子園に連れていてやるよと言ってくれていたので夢が叶いました」と話していた。