完結で素朴な絵付け、ところどころ釉薬がはげおちている。中国・明王朝末期の作で古染付という。白い素地に酸化コバルトで絵付けし透明釉をかけて焼成する。元時代に誕生。明時代に景徳鎮に官窯が置かれたことにより飛躍的に発展。白と青の対比が魅了した。17世紀になると農民の反乱がおこり明王朝が衰退し官窯は消滅。民窯は逆に勢いを増し、世界各地に輸出するようになった。明末の天啓年間に日本に送り出されたのが古染付。江戸時代に古渡りの染付と呼ばれた。日用雑器として作られ、青の発色はあまりよくないが何の成約も受けず絵付けはのびのびしている。素地と釉薬の収縮率の違いで表面に小さな剥落が生じることがたびたびあった。茶人たちはこの小さな剥落に侘び寂びの味わいを見出し虫食いと呼んで喜び茶道具として珍重した。自分好みの器を景徳鎮に発注するようになった。10種の変形皿を組み合わせた向付はそのものの形に整形され遊び心に富む。小堀遠州が確立した綺麗さびが流行。それに伴い景徳鎮でも上質な祥瑞が作られるようになり古染付は姿を消した。
住所: 福岡県太宰府市石坂4-7-2
URL: http://www.kyuhaku.jp/
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