終末時計の発表が始まって78年、これまで針を戻したのはたったの8回しかない。1963年の部分的核実験禁止条約、1988年の中距離核戦力全廃条約、1969年の核兵器不拡散条約、1972年の米ソ戦略兵器制限条約の4つの事例は、核兵器やミサイルをこれ以上増やさない、廃棄するなどと約束した。2010年に時計の針を1分戻したのは、オバマ氏の核廃絶運動。大統領就任直後に「核兵器のない世界」を提唱し、2016年には現職のアメリカ大統領として初めて原爆投下地である広島を訪問した。1990年のベルリンの壁崩壊は、終末時計の針を4分戻した。1989年11月9日、東ドイツ社会主義統一党のシャボフスキー氏が「すべての東ドイツ国民が国境検閲所を経由して出国可能にする。直ちに」と生中継で発表した。この言葉を聞いた東西の民衆がベルリンの壁に殺到し、壁の崩壊につながった。予定されていた発表は「東ドイツの国民がビザを申請すれば、制限付きで西側に移動できる」というものだった。この「勘違い」がドイツを始め東ヨーロッパの民主化を一気に加速させた。終末時計の針を5分戻したのは、1960年のパグウォッシュ会議。カナダのパグウォッシュ村に22人の科学者が集まり、核兵器廃絶などについて話し合った。会議は今年で63回めを迎え、11月に広島で開催される。
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