高知県のポツンと一軒家を訪れ、主の弘祐さん摩耶子さん、次男の直彦さんに話を聞いた。家はログハウスで、親子3人で同居している。弘祐さんは以前は京都で働いていたが、退職後に実家に転居した。ログハウスは転居前に建てたもので、隣の日本家屋が実家で母屋・台所・トイレは別々の建物になっていた。母屋は築120年ほどで、弘祐さんの祖父が建てた。年に2、3回の孫たちの帰省を楽しみにしているという。母屋には松が使われ、部屋には囲炉裏もあった。今でも宴会の時は囲炉裏を使っている。家の前は田んぼだったが、今は離農して庭になっている。弘祐さんの両親の代までは農家をしていた。弘祐さんは京都学芸大学に進学して教師になった。摩耶子さんとは同郷で親同士が懇意だった。摩耶子さんは大阪で教師をしていた。再会してから3か月で結婚した。弘祐さんの母が先に他界し、父は88歳で認知症になり京都に引き取った。空き家になった実家は近くに住む弟が管理していたが、廃れていくのは忍びないと弘祐さんが退職後にUターンした。必要な時は京都の自宅に帰っている。