TVでた蔵トップ>> キーワード

「能登半島地震」 のテレビ露出情報

今日新たに北陸新幹線の金沢-敦賀の区間が開業した。きょうサタデーステーションが訪れたのは東京駅。旅行客は、加賀温泉駅に行くといい「我々年寄りにできるのは(被災した石川に)観光に行くのが一番いいだろうと思って」などと話した。北陸新幹線は、きょう福井県敦賀駅まで延伸。東京駅での出発式には石川県出身の俳優・浜辺美波さんが登場した。経済効果は石川・福井を合わせて約588億円との推計もある。午後にはブルーインパルスが飛行し、桜の花びらを描くなど祝賀ムードを盛り上げた。
新たな新幹線の停車駅となった加賀温泉駅。神奈川・川崎市から来た男性は、奥さんの実家がこの辺でずっと新幹線がつながるのが悲願だなとおもって、せっかくなので開業の初日に参った、と明かしていた。このにぎわいをさらい後押ししていたのが北陸応援割。能登半島地震の復興支援で石川など4県への旅行で宿泊費などが半額になる国の事業。中国地方からやってきた女性二人が旅先を決めた理由は北陸応援割。加賀温泉郷は応援割が観光回復への起爆剤となるとして大きな期待を寄せている。しかし北陸応援割は予約が殺到し売り切れが続出しているという。石川・加賀市の旅館、みやびの宿 加賀百万石では、4月の大型連休前までの期間、500件を超える予約を受付け、完売した。みやびの宿 加賀百万石の吉田久彦社長は「1月2月のキャンセルは本当に凄まじかったので北陸応援割と北陸新幹線延伸に大きな期待をしながら待っていた」と明かしていた。
その一方で、石川・七尾市の和倉温泉では地震から2ヶ月半がたった今も、断水が続きすべての旅館が休業中。当然、応援割の恩恵はない。毎年恒例だった春の花火大会も今年は中止が決まった。海沿いに立つゆけむりの宿 美湾荘を訪ねると、多田直未若女将は、結局水がないと掃除もできないんですよと語る。1月1日、地震当日の防犯カメラは激しい揺れの瞬間をとらえていた。宿泊客が避難した直後、館内には砂煙が。地震当時、館内には200人以上がいたが全員が無事だった。しかし建物の被害は大きく復旧まで数年かかるという。飲食店もほとんどが休業する仲、昼間3時間のみ営業を再開した本さぬきうどん 海よ友よの赤石友樹店長は、今は全く人(観光客)が来ていない状況だと語る。復興半ばで始まった応援割について、多田直未若女将は「能登半島は今は厳しい状態なんですけれども心も一つになって北陸で頑張るという機運が高まっていてそういうところに関しては凄く嬉しい」と話していた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年6月20日放送 15:10 - 15:55 NHK総合
午後LIVE ニュースーンミニ番つまみぐい
ミニ番つまみぐい。今日は「明日をまもるナビ」から。災害時に孤立した時の対策を取り上げる。1月に起きた能登半島地震の際に、孤立集落への災害救助時にいくつもの困難が重なり、命の危険にさらされた。集落の住民は薬がなくなったことで危機を感じたという。その場では人と人が助け合って作られたコミュニティー。そのヒントを探る。

2024年6月20日放送 13:00 - 13:05 NHK総合
ニュース(ニュース)
能登半島地震で大規模な火災が起きた石川県輪島市の朝市通りで建物の解体などの費用を行政が負担して行う公費解体が始まって2週間がたつ中、解体の申請が増えているということで、市は作業を急ぎ早期の復旧復興を目指したいとしている。朝市通り。厳しい暑さとなる中、作業員の方々は適宜休憩を取りながら解体作業を進めている。輪島市の朝市通り周辺では大規模な火災などで被災したおよ[…続きを読む]

2024年6月20日放送 12:20 - 12:30 NHK総合
全国自治宝くじドリームジャンボ宝くじ抽せん会全国自治宝くじ 年末ジャンボ宝くじ 抽せん会
1等の番号を抽せん、番号は58組の154049に決まった。2等以下やミニの番号も発表した。収益金の一部は能登半島地震の被災地支援に役立たれる。

2024年6月20日放送 5:00 - 6:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本(特集)
能登半島地震の被災地では8万棟余りの住宅が被害を受け今も多くの人たちが避難を余儀なくされている。石川県珠洲市の若山町北山地区で今月2日住民たちが久々に再開した。蛍の生育地区として知られる北山地区は9世帯20人が暮らしていた。去年開かれた奥能登国際芸術祭では巨大なアート作品が展示。この展示をきっかけに地区の魅力が注目されると期待を高めていた。しかし元日の地震で[…続きを読む]

2024年6月19日放送 23:00 - 23:59 日本テレビ
news zerozero plus
板垣李光人は能登半島地震の爪痕が残る羽咋市の山崎麻織物工房を訪問した。県の指定無形文化財である能登上布を製造する日本唯一の織元で、創業したのは1891年。地震で機械が倒れるなど、工房は一時停止に追い込まれた。そんな中、久世英津子さんのもとには励ましのメッセージが届けられ、地震から10日後には整経機を最低限、動かせる状態にした。織子たちは続々と工房に戻ってきて[…続きを読む]

© 2009-2024 WireAction, Inc. All Rights Reserved.