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「能登半島地震」 のテレビ露出情報

石川県の能登半島の七尾市〜穴水町を結ぶ、全長33キロほどの第三セクター・のと鉄道は、通学の高校生や病院へ通う高齢者などには欠かせない地域の足。観光も収入の大きな柱だったが、能登半島地震で需要が落ち込み、経営は厳しさを増している。大きな要因は、能登の入り口・和倉温泉の被害。震災前は温泉に泊まった観光客が、のと鉄道で輪島や珠洲方面へ向かうのが人気だった。和倉温泉では、組合に加盟する21の旅館などのうち、営業を再開できたのは4つ。和倉温泉の旅館・古川朋明課長は「まだ見通しはない」と語った。鉄道の観光などでの利用は、2023年に比べて約4割減少。地震で地元を離れた人も多く、通勤通学の利用は今も元に戻っていない。それでも人を運ぶ動脈ともいえる鉄道は復興に欠かせないと会社は考えている。のと鉄道・中田哲也社長は「廃線になったら、もう地域が衰退する」と語った。のと鉄道を支えたいと、各地から支援。全国のローカル鉄道など約40社が集まり、売り上げをのと鉄道に寄付する切符を販売。人気キャラクターを使って、のと鉄道の車両を無償でラッピングする支援も受けた。のと鉄道は、地震のあと、遊ぶ場所が減っていた沿線の子どもたちを招待。地域に愛される鉄道を目指している。のと鉄道・中田哲也社長は「利用者が減ったまま手をこまねいていると住民から理解を得られない。どんなアイデア、規格にしようかと。展開していかなければならい」と語った。会社もみずから動きだした。去年9月に始めた語り部列車。被災地に心を寄せてもらおうと、乗客たちに語りかける。団体のツアーなどで70回ほど運行し、のべ1300人が参加。被災地を訪れる人を増やす取り組みとして定着してきた。さらに今月からは、新たな試みも。のと鉄道初となる駅弁の開発。地元・七尾湾の名産・カキをふんだんに使った弁当。コメも付け合わせの野菜も地元産にこだわる。手がけるのは能登中島駅で売店を営んできた井田夫婦。地震のあと、一時店を閉じることも検討したが、のと鉄道から駅弁の相談を受け営業再開に踏み出した。会社は、地域の足としての役割を維持しながら、能登と全国をつなぐ存在になることも目指している。のと鉄道・中田哲也社長は「地域のため“のと鉄道”が何ができるか、何を果たさなければならないのか考えながら、地域とともに歩んでいきたい」と語った。のと鉄道では地震後、動かせていなかった観光列車の車両なども使いながら、地元の人たちと連携した企画やアイデアで、能登に人を呼び込んでいきたいとしている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年4月23日放送 5:20 - 8:00 TBS
THE TIME,追っかけTIME
能登地震の被害を受けた日本航空石川の生徒は地元・石川へ帰郷しつつある。東京・青梅市を拠点に活動を行う野球部は山梨の系列校と東京の大学の跡地を転々としてきたが、4割が帰郷する方針であり野球部は全員が能登に戻るという。2年連続で春のセンバツに出場してきたが野球部は14tトラックがいっぱいになるほどの機材を運んでいる。石川智規君は輪島市出身だが、被災した当時は旅行[…続きを読む]

2025年4月21日放送 14:05 - 14:50 NHK総合
列島ニュース金沢局 昼のニュース
能登半島地震と豪雨災害で大きな被害を受けた珠洲市で警察署の体制が手薄になる早朝に地震が起きたという想定で初動対応の訓練が行われた。

2025年4月21日放送 9:00 - 11:54 NHK総合
国会中継参議院予算委員会質疑
自由民主党・宮本周司の質疑。能登半島地震、奥能登豪雨の被害に対し、財源を確保し政府として復旧復興を進めていくことに改めて感謝を述べた。1週間前に石川県では全ての避難所を閉鎖することができた。馳知事は全ての応急仮設住宅が完成したということを受け、新年度から平時の服装に戻っている。今般の米国関税の情報・措置が日本全国に押し寄せ、産業界を中心として非常事態になって[…続きを読む]

2025年4月21日放送 5:00 - 6:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本(ニュース)
能登半島地震で自宅などが大きな被害を受け仮説住宅で暮らす被災者の生活や交流を支援する施設が、石川・輪島市に20日、オープンした。施設は約40人が利用できる食堂のほか、浴場などが設けられている。また社会福祉法人の職員などが介護や生活の相談に応じるほか、仮設住宅の見守り活動の拠点としても使われることになっている。門前町と鳳至町にも被災者支援施設を開設することにし[…続きを読む]

2025年4月21日放送 1:48 - 2:48 TBS
ドキュメンタリー「解放区」奥能登の美容室
石川県輪島市、高さんは去年の元日からずっとやめていたジョギングをこの日久しぶりに再開した。普段よく走っていた輪島の街は震災以降変わってしまった。2024年元日能登半島は最大震度
7の大地震に襲われた。11万棟以上の建物が被害を受け、土砂崩れは数え切れない。当時24の地区で3000人以上が孤立した。朝市では200棟以上が焼失するなど甚大な被害に見舞われた。高さ[…続きを読む]

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