99年に放送された「新日本探訪」では母と同じ海人になった伊藤浩吉さん(20)を取材した。2人はアワビ、サザエを求め、1日50回以上、海へと潜っていた。一人前になれば海人でも十分に生活していけるほど、能登の海は豊かだった。番組制作に携わった吉見氏は田舎には若者、産業が無く、衰退の一途を辿っていくというイメージが覆されたという。2月、吉見氏は能登半島地震で被害を受けた海士町を20数年ぶりに再訪した。浩吉さんの父である松雄氏(70)が出迎え、修繕を重ねた結果、住めるようになったのは1月だったという。奥さんは地震のショックで傷心し、漁の再開には至っていなかった。息子の浩吉さんは漁師に嫌気がさし、10年も前に輪島を出てってしまっていた。
取材を重ね、吉見氏は46歳になった浩吉さんと再会を果たした。燃料費は高騰する一方、魚価は下がり、浩吉さんは漁師を続けていくことに不安を感じていたといい、34歳で町を離れた。場所、仕事を転々とするなか、能登半島地震が起きた。損壊した家の解体ですら遅々と進まないことに驚き、浩吉さんは解体作業に必要な重機の免許を取得した。21歳の井上岳登さんは仮設住宅の建設現場で働く傍ら、海中の調査、ゴミの撤去に協力してきた。母の美栄さんは海女だが、心臓に持病がある。岳登さんは母を支えてやりたいと、海士になることを決意した。
吉見氏は松雄氏のもとを訪れ、浩吉さんの近況を伝えた。松雄氏は漁の再開に向けて準備を進めていて、「息子もおらんけど、寿命が尽きるまで頑張ろうと思っています」と語った。25年1月、漁は再開され、吉見氏は「すごく自分の足で立っている、自立した町なんだって感じたので、その根っこは無くならないのかな。20年前に取材した時と同じものを持っているんだって思いました」と語った。
取材を重ね、吉見氏は46歳になった浩吉さんと再会を果たした。燃料費は高騰する一方、魚価は下がり、浩吉さんは漁師を続けていくことに不安を感じていたといい、34歳で町を離れた。場所、仕事を転々とするなか、能登半島地震が起きた。損壊した家の解体ですら遅々と進まないことに驚き、浩吉さんは解体作業に必要な重機の免許を取得した。21歳の井上岳登さんは仮設住宅の建設現場で働く傍ら、海中の調査、ゴミの撤去に協力してきた。母の美栄さんは海女だが、心臓に持病がある。岳登さんは母を支えてやりたいと、海士になることを決意した。
吉見氏は松雄氏のもとを訪れ、浩吉さんの近況を伝えた。松雄氏は漁の再開に向けて準備を進めていて、「息子もおらんけど、寿命が尽きるまで頑張ろうと思っています」と語った。25年1月、漁は再開され、吉見氏は「すごく自分の足で立っている、自立した町なんだって感じたので、その根っこは無くならないのかな。20年前に取材した時と同じものを持っているんだって思いました」と語った。