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「伊能忠敬」 のテレビ露出情報

テーマは「江戸時代の偉人・伊能忠敬」。前回は伊能忠敬が作成した地図について数々ある国宝などを交えて紹介。伊能忠敬記念館は地図、器具、書状など国宝「伊能忠敬関係資料」を展示。今回は忠敬が送った71年の人生を紹介。学芸員・石井秀和さんが案内。伊能忠敬は現在の九十九里町にあたる小関村の生まれで幼名は三治郎。三治郎が6歳の時に母親が死去し、婿養子だった父親は離縁。10歳のころ、父の実家の神保家に引き取られた。17歳の時に名門・伊能家の婿養子になる話が持ち上がり、この時に名前が三治郎から忠敬になった。伊能家は「江戸まさり」と言われた商いが盛んな香取市佐原で酒造業を営む名家。なぜ伊能家から婿入りの話が来たのかは幼少期の史料がなく詳しくは謎だが、優秀だったと想像される。
伊能忠敬が送った71年の人生を学芸員・石井秀和さんが案内。忠敬が29歳の時の伊能家の収入と49歳の時では20年間で3倍以上になっている。伊能家の当主となった忠敬は元々の酒造業のほかに米取引、水運、不動産などへと手広く事業を拡大し、20年間で伊能家の総資産を3倍以上にする商才を発揮。伊能家は佐原村の村役人も務める名門。
伊能忠敬が送った71年の人生を学芸員・石井秀和さんが案内。佐原河岸問屋一件では幕府が佐原河岸に新税を課した際、損益保持のために役人に答弁するなど村の代表として活躍。商売には人のつながりもあり、色々な教養も身に付けていなければいけない。歴代の当主が収集した本があり、伊能家の当主として本を読んで勉強していた。その中で忠敬が特に興味を持ったのが天文暦学。天文暦学は天体の運行を観測して暦を作成する学問。忠敬は商売をしている間でも暦学書を注文し勉強していたという。
伊能忠敬が送った71年の人生を学芸員・石井秀和さんが案内。忠敬が49歳の時に家督を息子に譲り隠居。ここから天文暦学を本格的に学ぶため、西洋の天文学を取り入れ正確な暦を作った19歳年下の天文学者・高橋至時に弟子入り。伊能忠敬が長男に宛てたと言われる伊能家の家訓書の2つ目には「目下の言うことでもなるほどと思ったら取り入れるようにしなさい」とある。忠敬は柔軟な考えを持つ人物だったと考えられている。
伊能忠敬が送った71年の人生を学芸員・石井秀和さんが案内。本格的な天文暦学の勉強を始めた忠敬は、天体観測などに日夜費やす日々を過ごす中、正確な暦を作るために地球全体の大きさを知る必要があると気付くと、幕府の許可をもらい計測を開始。測量の最初は地図作りではなく暦のためだった。その後、東日本まで測量した功績が認められ、全国測量は幕府の事業となり、忠敬も幕府の役人に登用されプロジェクトの中心となった。71歳の時に測量を終えた忠敬は江戸の屋敷で地図の完成品「大日本沿海輿地全図」の作成作業に入ったが、73歳で完成を待たずに亡くなってしまった。
伊能忠敬が送った71年の人生を学芸員・石井秀和さんが案内。各地で測量した細かいデータをもとに地域ごとの地図を作り、つなぎ合わせて完成させたのが伊能図と称される「大日本沿海輿地全図」。伊能忠敬は17年の地図作成で約3.5万km歩いたともいわれる。忠敬は地図の完成を見ることなくこの世を去った。「大日本沿海輿地全図」は忠敬の弟子と天文方の役人によって完成させた。その間、忠敬の死は伏せられたまま地図は3年後に完成。先に死を公表してしまうと完成前に亡くなったということで「大日本沿海輿地全図」完成の功績が忠敬のものではなくなるため、死を隠して地図完成を忠敬の功績にした。
伊能忠敬が送った71年の人生を学芸員・石井秀和さんが案内。伊能忠敬が作った日本地図は精密さから国防上の最高機密として扱われ、当時来日していたドイツ人医師・シーボルトが国外へ持ち出そうとしたことが分かると国外追放し、多くの日本人関係者にも厳しい処罰がくだった。千葉県香取市にある伊能忠敬記念館では貴重な伊能忠敬の史料などを展示。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年4月19日放送 12:15 - 14:15 テレビ東京
ローカル路線バス乗り継ぎ対決旅ローカル路線バス乗り継ぎ対決旅 陣取り合戦第13弾
河合チームは佐原駅までバスに乗り、佐原駅の観光案内所でさわら町屋館の情報をゲットした。さわら町屋館に着いたのは10時49分。11時のオープンを待ち、名産のさつまいもを使った焼き芋シェイク「芋ぺちーの」を味わった。香取市の陣取り成功。太川チームは「ケーキハウス自由が丘」を訪れ、名物「どらパイ」を味わった。栄町特産の黒豆「どらまめ」を使ったスイーツ。栄町の陣取り[…続きを読む]

2025年4月19日放送 8:00 - 9:30 テレビ朝日
朝だ!生です旅サラダ(オープニング)
だんだんあたたかくなって気持ちがいいと松下さんが言う。今日は地図の日だとのこと。伊能忠敬が江戸を出発し計測をはじめた日だ。16年かけて全国を歩いた。伊能忠敬は55歳だった。

2025年4月10日放送 16:05 - 17:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーン(エンディング)
「この言葉、知らなかった!」について視聴者からの投稿を紹介。若者言葉で「○○界隈」という言葉を聞く、「伊能忠敬界隈」という言葉は長距離を歩く人を表しているという。

2025年4月9日放送 18:25 - 21:00 テレビ東京
ソレダメ!観光大使も知らない!?群馬県 千葉県
佐原・樋橋は農業用水を対岸に送る際に樋からあふれる水の音がしたのを再現した物となっていて、水の音からジャージャー橋との異名もある。また、ジャージャー橋の近くには日本地図を完成させた伊能忠敬の旧宅があることでも知られ、見学は無料となっている。伊能忠敬記念館もありここでは実際の地図や測量器具などが展示されている。

2025年3月29日放送 16:00 - 16:55 テレビ東京
私たちは海の90%を知らない〜深海のナゾに迫る!〜(私たちは海の90%を知らない 深海のナゾに迫る)
日本地図を作ったの伊能忠敬。だが海に関しては地図を作ることができなかった。そこで浅海域の海の地図を作るプロジェクトが進んでいる。こうした地図は津波を予測するのにも役立つという。現在の進捗率は25%ほど。

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