沖縄本島から南西300キロに位置する伊良部島。年間平均温気温は24度。サンゴ礁に囲まれた美しい島で輝く白浜と透明度抜群の海が人気。シュノーケリングやダイビング体験などマリンレジャーを楽しみたい観光客が多く訪れる。人口は5000人。漁業を中心に栄えてきた。そんな伊良部島と関係の深い魚は沖縄の県魚に指定されているグルクン。その身は肉厚で、弾力があり上品な甘さが人気。外はサクサクで中はふっくらの唐揚げが定番。沖縄で消費するグルクンの8割近くが伊良部島の漁師たちによって獲られていた。伊良部島は何故グルクンの聖地になったのか?この島には特殊な漁があるという。伊良部島はカツオも盛んで1本釣りは100年の歴史をもつ。パワフルで豪快なカツオ漁師だがグルクンを獲る漁師について聞いてみると、神様みたいな存在だというが海に潜る危険な漁だという。
64歳の具志堅貞芳さんはグルクン漁師。その一日に密着。伊良部の佐良浜漁港に漁師たちが集合したが全員ベテランでそのメンバーには70代の漁師もいた。その漁はチームで行うが具志堅さんは6人とチームを束ねるリーダー。沖縄の伝統漁船にのって漁場へ。港に出る前に漁には欠かせない道具を用意するが船にナゾの小舟をくくりつけた。具志堅さんの頭の中には数百もの漁場が入っているがその日が豊漁になるかはとりわけ潮の流れが大きく関係してくるという。港を出て15分、具志堅さんは水中ゴーグルを準備し始めたが伊良部から北東に6キロあるサンゴ礁の多く広がるエリアへ。船の前方に向かった具志堅さんは潜水タンクを背負い船の上から仲間が見守る中で道具を持って潜水開始。魚群探知機では映っている魚がグルクンかはわからず、具志堅さんは目視でグルクンの偵察を行っていた。グルクンは、その流れに逆らって頭を向ける習性があり流れてくる餌に対しもっとも効率的に食べられるからだという。この漁に求められるのは潮の流れを読むスゴ技。具志堅さんは潮の流れを体感で掴んでグルクンの群れがいそうなポイントを見つける。
具志堅さんが潮の流れを確認していると眼の前にグルクンの群れを発見しその凄技が発揮された。具志堅さんの合図で網が一斉に投げ込まれる。他の仲間も海の中へ入った。網を手に海底に潜ると、サンゴ礁にくくりつけたが、海中では動きが制限され会話もできない中で網を仕掛けるにはかなりの労力がいる。網を仕掛けはじめて4分、海底に出来上がったのは巨大な網の袋で直径は10mにも及ぶが彼らはこれを袋網と呼んでいる。ここでさらに網を投入したが、今度は海底にカーテンのように広げ始めたが全長は20mにも及ぶ。この網は袖網と呼ばれ、具志堅さんは袋網と袖網を組み合わせて海底に巨大な網の仕掛けを作ろうとしていて、横に長く敷く袖網は潮の流れを受けやすく大きく傾いてしまうことがある。具志堅さんにはとっておきの秘策にポリ袋でそこに空気を入れた。潮が強く網が傾いた時にタンクの空気で袋を膨らませて網を浮上せさせ安定させ、こうして巨大な仕掛けが完成した。
網をかけ終えると用意したのはサッピャ。この棒でグルクンと闘う。漁師たちは隊列を組んでサッピャを振ってグルクを威嚇し網に追い込んでいく。驚いたグルクンたちは猛スピードで逃げていく。グルクンは威嚇されると向きを変えるが、追い込む速さが一人でも違うと隊列の隙間から逃げてしまうという。息をピッタリとあわせなければいけない。サンゴ礁で暮らすグルクンは底びき網などでは獲ることができず、そこで開発されたのは網に追い込むこの不思議な漁法。明治時代に沖縄の糸満で生まれ 大正初期に伊良部に伝えられた。かつては素潜りで網に追い込んでいたという。しかし、素潜りでは長く潜れずに獲れる量にも限界があったが、大量に獲るために潜水タンクを背負っての形に進化した。この漁のおかげでグルクンの漁獲量が増加し食卓にも多く並ぶようになった。一方でこの不思議な漁は全速力で追いかけるために相当な体力を要する。かつては沖縄の各地でみられたが、今ではここ伊良部にしか残っていない。魚を袖網で道を塞ぎ袋網に追い込んでいく漁師たち。追い込んで4分が経過するとグルクンは袋網に追い込まれ漁師たちは素早く網を閉じていく。
網を海面にあげていく。捕獲したグルクンは、海水が入った小舟に入れて鮮度を保ったまま持ち帰るという。その量は100キロを越えた。毎日この量を続けることが漁師たちの驚異的な体を生んでいる。この追い込み漁に携わる漁師は15人ほどで、特殊な能力が求められるために誰もができるわけではないという。具志堅さんのような勇猛果敢な漁をしてみたいという思いから小林さんのような島外から移住しこの漁を始めたと言う人も。
64歳の具志堅貞芳さんはグルクン漁師。その一日に密着。伊良部の佐良浜漁港に漁師たちが集合したが全員ベテランでそのメンバーには70代の漁師もいた。その漁はチームで行うが具志堅さんは6人とチームを束ねるリーダー。沖縄の伝統漁船にのって漁場へ。港に出る前に漁には欠かせない道具を用意するが船にナゾの小舟をくくりつけた。具志堅さんの頭の中には数百もの漁場が入っているがその日が豊漁になるかはとりわけ潮の流れが大きく関係してくるという。港を出て15分、具志堅さんは水中ゴーグルを準備し始めたが伊良部から北東に6キロあるサンゴ礁の多く広がるエリアへ。船の前方に向かった具志堅さんは潜水タンクを背負い船の上から仲間が見守る中で道具を持って潜水開始。魚群探知機では映っている魚がグルクンかはわからず、具志堅さんは目視でグルクンの偵察を行っていた。グルクンは、その流れに逆らって頭を向ける習性があり流れてくる餌に対しもっとも効率的に食べられるからだという。この漁に求められるのは潮の流れを読むスゴ技。具志堅さんは潮の流れを体感で掴んでグルクンの群れがいそうなポイントを見つける。
具志堅さんが潮の流れを確認していると眼の前にグルクンの群れを発見しその凄技が発揮された。具志堅さんの合図で網が一斉に投げ込まれる。他の仲間も海の中へ入った。網を手に海底に潜ると、サンゴ礁にくくりつけたが、海中では動きが制限され会話もできない中で網を仕掛けるにはかなりの労力がいる。網を仕掛けはじめて4分、海底に出来上がったのは巨大な網の袋で直径は10mにも及ぶが彼らはこれを袋網と呼んでいる。ここでさらに網を投入したが、今度は海底にカーテンのように広げ始めたが全長は20mにも及ぶ。この網は袖網と呼ばれ、具志堅さんは袋網と袖網を組み合わせて海底に巨大な網の仕掛けを作ろうとしていて、横に長く敷く袖網は潮の流れを受けやすく大きく傾いてしまうことがある。具志堅さんにはとっておきの秘策にポリ袋でそこに空気を入れた。潮が強く網が傾いた時にタンクの空気で袋を膨らませて網を浮上せさせ安定させ、こうして巨大な仕掛けが完成した。
網をかけ終えると用意したのはサッピャ。この棒でグルクンと闘う。漁師たちは隊列を組んでサッピャを振ってグルクを威嚇し網に追い込んでいく。驚いたグルクンたちは猛スピードで逃げていく。グルクンは威嚇されると向きを変えるが、追い込む速さが一人でも違うと隊列の隙間から逃げてしまうという。息をピッタリとあわせなければいけない。サンゴ礁で暮らすグルクンは底びき網などでは獲ることができず、そこで開発されたのは網に追い込むこの不思議な漁法。明治時代に沖縄の糸満で生まれ 大正初期に伊良部に伝えられた。かつては素潜りで網に追い込んでいたという。しかし、素潜りでは長く潜れずに獲れる量にも限界があったが、大量に獲るために潜水タンクを背負っての形に進化した。この漁のおかげでグルクンの漁獲量が増加し食卓にも多く並ぶようになった。一方でこの不思議な漁は全速力で追いかけるために相当な体力を要する。かつては沖縄の各地でみられたが、今ではここ伊良部にしか残っていない。魚を袖網で道を塞ぎ袋網に追い込んでいく漁師たち。追い込んで4分が経過するとグルクンは袋網に追い込まれ漁師たちは素早く網を閉じていく。
網を海面にあげていく。捕獲したグルクンは、海水が入った小舟に入れて鮮度を保ったまま持ち帰るという。その量は100キロを越えた。毎日この量を続けることが漁師たちの驚異的な体を生んでいる。この追い込み漁に携わる漁師は15人ほどで、特殊な能力が求められるために誰もができるわけではないという。具志堅さんのような勇猛果敢な漁をしてみたいという思いから小林さんのような島外から移住しこの漁を始めたと言う人も。