今回訪れた伊賀市は伊賀流忍者や松尾芭蕉が生まれた場所として知られる。今回案内して頂く長谷さんの工場は1832年の創業で伊賀焼と呼ばれる焼き物を製造している。伊賀焼は1200年前から作られており、伊賀焼は熱に強く、長谷さんの工場では料理に合わせた土鍋を製造している。ここで3人はご飯専用の土鍋や空焚きできるロースト用の土鍋、燻製用の土鍋などを見せてもらい、実際に作ったものを試食した。
長谷さんの工場では各社員が分担で作業を行っている。生産量は1日200個ほど。材料である土だが、中には砂が混じっている。実は伊賀の辺りは400万年ほど前まで琵琶湖の湖底で、土には多くの有機物が含まれている。この有機物が燃えることで空洞が出来る。この空洞にくうきが入ることで保温性が高い焼き物になるのだという。土は季節によって硬さが変わるため、こねる前に水を加え調節する。こねて空気を脱いた土は石膏の型を使って鍋の形に成形していく。1時間ほど乾燥させたあとは削り、表面積を広くすることで熱を伝えやすくする。
こうして本体が出来上がったら取っ手をつけていく。水を使ってつけていくこともあって冬場は厳しい作業だという。こうして形が出来上がった鍋を2週間乾燥させ、1日かけて焼いていく。素焼きが終わった鍋に撥水剤を塗り、その後「施釉」という工程に入る。施釉は釉薬と呼ばれるものを塗っていく。この釉薬が水漏れを防ぎ、焼き物の表面をガラス化する。これを1日焼いて1日冷まして完成。出荷前に検品を行うが、20個に1個ほどは不良品がある。ぱっと見ではわからない不良品もあるため叩いた時の音なども判断材料になるのだとか。長谷さんの工場は1834年から伊賀焼を作り、戦後は建築に使う陶器タイルで会社が急成長した。そんな中、阪神大震災が発声する。
地震の影響もあり、巷では陶器タイルは地震に弱いという噂も流れ、売上は激減。土鍋が主力になるようになった。そこで長谷さんたちは先代が開発しようとしていたご飯専用土鍋の開発を4年かけて行ったという。完成したご飯専用土鍋は料理人や料理好きの人たちから好評を得て大ヒット。その他の料理専用の土鍋の製造に乗り出したという。今回は長谷さんの奥さんが土鍋向きの料理だというポトフを振る舞ってくれた。
長谷さんの工場では各社員が分担で作業を行っている。生産量は1日200個ほど。材料である土だが、中には砂が混じっている。実は伊賀の辺りは400万年ほど前まで琵琶湖の湖底で、土には多くの有機物が含まれている。この有機物が燃えることで空洞が出来る。この空洞にくうきが入ることで保温性が高い焼き物になるのだという。土は季節によって硬さが変わるため、こねる前に水を加え調節する。こねて空気を脱いた土は石膏の型を使って鍋の形に成形していく。1時間ほど乾燥させたあとは削り、表面積を広くすることで熱を伝えやすくする。
こうして本体が出来上がったら取っ手をつけていく。水を使ってつけていくこともあって冬場は厳しい作業だという。こうして形が出来上がった鍋を2週間乾燥させ、1日かけて焼いていく。素焼きが終わった鍋に撥水剤を塗り、その後「施釉」という工程に入る。施釉は釉薬と呼ばれるものを塗っていく。この釉薬が水漏れを防ぎ、焼き物の表面をガラス化する。これを1日焼いて1日冷まして完成。出荷前に検品を行うが、20個に1個ほどは不良品がある。ぱっと見ではわからない不良品もあるため叩いた時の音なども判断材料になるのだとか。長谷さんの工場は1834年から伊賀焼を作り、戦後は建築に使う陶器タイルで会社が急成長した。そんな中、阪神大震災が発声する。
地震の影響もあり、巷では陶器タイルは地震に弱いという噂も流れ、売上は激減。土鍋が主力になるようになった。そこで長谷さんたちは先代が開発しようとしていたご飯専用土鍋の開発を4年かけて行ったという。完成したご飯専用土鍋は料理人や料理好きの人たちから好評を得て大ヒット。その他の料理専用の土鍋の製造に乗り出したという。今回は長谷さんの奥さんが土鍋向きの料理だというポトフを振る舞ってくれた。