- 出演者
- 福澤朗 今田耕司 片渕茜 旭道山和泰 野々村友紀子
オープニング映像。
本日のゲストは南海のハブと恐れられた元力士の旭道山。1964年、東京生まれ、3歳から母の実家・鹿児島県徳之島で育った。小学生の頃は剣道部、中学生の頃はバレーボール部。スポーツ推薦で高校進学が決まっていたが、母のすすめで大島部屋に入門した。相撲経験はなく、入門時は身長178センチ、体重58キロで場違いなとこに来たと思ったという。24歳で新入幕を果たした。1990年の春場所、996勝目をかけた千代の富士との一番では、激闘の末に千代の富士が白星。1992年の名古屋場所、対小錦では巨漢を倒して殊勲賞を獲得した。1993年の春場所、対横綱・曙で初の金星。通算出場1089回、休場は一度もなし。甘いマスクでファンを魅力した。1996年に国会議員に転身した。現在はちゃんこ店のプロデュース、相撲解説者として活躍。
旭道山のお宝は親方から譲り受けた刀。いつ作られたものかなど何も分からないという。本人評価額は30万円。鑑定額は80万円。飾り刀でこしらえに価値があるという。こしらえは奈良時代から存在する鶏頭太刀というものを昭和30年ごろに移したもの。
福岡県久留米市。依頼人は一級建築士の岩橋弘幸さん。和食レストラン「梅の花」の1号店を設計したのも岩橋さん。仕事以上に心血を注いでいるのが、特殊車両のミニカーで4500台以上持っている。岩橋さんのお宝は特殊車両のミニカー25台。道路掘削機やトンネル消防車、霊柩車など。
ミニカーの歴史は車社会の到来とともに幕を開けた。1908年に世界初の大量生産自動車T型フォードが発表され、年間販売数は1万台以上。1914年にT型フォードのミニカーが発売。ダイキャスト製法で飛ぶように売れた。1930年代になると、イギリス・フランス・ドイツでもミニカーが製造されるようになった。特殊車両のミニカーも作られるようになった。当初は鉄道模型のアクセサリーとして販売されたため、縮尺は43分の1が主流だった。今回の依頼品は1930年代から2000年代にかけて国内外で作られた25台。
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- T型フォード
特殊車両ミニカー25台の本人評価額は50万円。鑑定額は164万円。ドイツ軍の装甲列車はコンディションが素晴らしく50万円。DINKY TOYSは今も人気が高く、軍用キャリアカーは20万円、ミサイル搭載車が10万円など。ヨネザワの霊柩車は4万円。
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- DINKY TOYSヨネザワ
レジェンドのお宝鑑定大会。ゲストは野々村さん。
佐藤さんが家族を代表して出演。無職の佐藤さんだが日向坂46にはまっていて、番組にでたら評価額の半分を貰えるのでこれをグッズなどにすべてつぎ込むという。宝は一般相対性理論を発表したアインシュタインがアルファベットを書いた書だ。家の和室にあった書で長崎大学の教授をやっていた祖父が誰かにもらったものだという。1922年とかいてあることから来日したときのものとみられる。本人の評価額は100万円。結果は300万円。安土堂書店の八木さんは自筆の書に間違いないという。1922年11月に神戸港について日本では大歓迎。12月福岡で講演し日本旅館に泊まったときの日記に書を書いていることが記されている。これは家宝にすべきと伝えた。
大工の鈴木さんのお宝は天才画家 レオナール・フジタの水彩画。友人の家に飾られていてネットオークションで15万円で落札したと聞いたが、魅力的でほしいと思ったが譲ってくれなかったが、それから2年して生活が苦しいときに欲しいとお願いしたら3万円で売ってもらったという。本人評価額は1千万円。結果は5千円。永善堂画廊の山村さんは「ガセ」と評価。
西尾さんは武田信玄の書をもってきた。この書は家に伝われるもので弘治元年とあるが武田信玄と上杉謙信が川中島で合戦をしたころだという。全長は4メートル50センチの系図のうらにかかれている書だ。同じ源氏の血が流れていると信玄がお墨付きをつけた書だとスートーリを説明。本人評価額は500万円。結果は3000円。愛知東邦大学の増田さんは信玄の書ではないという。系図に箔をつけるために信玄の名をつかった証だという。
マや占いが趣味の八杉さんは キース・ヘリングのイラストをもってきた。1点はスケッチブックのウラと1点は不織布に書かれている。姉の遺品整理をしていたときにみつけたという。芸大を目指す予備校の姉がこれを書いてもらったのではと推測する。本人評価額は200万円。
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- キース・ヘリング
姉の遺品整理をしていた際発見したキース・ヘリングのイラスト2点。結果は400万円!両方とも本物で間違いない、どちらもキースらしいリズミカルな作品、1983年にキースが初来日した時にもらったのではと解説された。
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香川県丸亀市から。長峯友紀さんは信楽焼のたぬきを25点集めた。集めるきっかけは、地元のうどん屋の前に置かれていたたぬきだったという。信楽たぬきの愛嬌満点の姿は八相縁起と言われる縁起物に由来。昭和天皇の行幸の際に全国で大きな話題になった。11月8日の信楽たぬきの日には毎年有給休暇を取って参加。紙粘土を使って自分でも作ったという。お宝は高祖父が買い求めた観音像。昭和21年、骨董市で大枚を叩き購入。それを最近近所の骨董好きの人に見せたところ江戸時代の名工の作とのこと。スタジオに青木木米作の観音像が登場。
青木木米は江戸時代後期を代表する京焼の名工。1767年、京の生まれ。生家は祇園の茶屋で幼い頃より文人墨客と交わる。漢詩・書画・篆刻・銅器の鋳造までも身に着けた。30歳の時、木村蒹葭堂の面識を得、その書庫にあった中国の陶芸書”陶説”を呼んで深く感銘。古代から清時代に至る中国陶磁の技法を網羅した解説書だったが、木米はこれらを全て習得せんと心に決め研究に没頭。試行錯誤の末、遂に我がものとした。鮮やかな色絵、吸い込まれるような青磁、淡麗なる白磁、素朴な交趾手。いずれも本家を上回る出来栄え。やがてその腕前は広く知られ粟田口青蓮院の御用を任される。さらには加賀・前田家より招かれ陶芸指南、九谷焼の再興を果たした。頼山陽や田能村竹田ら文人とも深く交流。木米の人柄を竹田は”面白おかしく時に真面目で真実かと思えば嘘も交える、実に奥底が知れない”と評した。その作品も独創的。窯の温度変化を炎が発する微妙な音の違いで聞き分けたため耳は真っ赤にただれ晩年は聴覚を喪失。自らを聾米とごうした。作品への情熱は生涯衰えることなく陶土を日本全国や中国・東南アジアからも取り寄せたくわえた。遺言は”私の亡骸をこれらの土と混ぜて団子にし三日三晩焼いて京の北山に埋めてほしい、千年後誰か私を見つけて下さい”。観音像は高さ約15cm、顔立ちは穏やか、衣の青色も気品に満ちている。2015年に番組で鑑定した木米の観音像は鑑定額1200万円だった。果たして鑑定やいかに?
青木木米の観音像。本人評価額は300万円。鑑定結果5000円。全く違う、近代に作られた京土産の観音様、釉薬が全く違う、顔も悪いなどと解説された。
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