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「修徳院」 のテレビ露出情報

津波で流された後、持ち主の元に戻らず保管されていた津波遺留品。福島県いわき市では、先月末で持ち主への返還事業が終了し、市内の寺院ではきょう、遺留品のお焚き上げが行われた。地震発生時刻の午後2時46分に合わせ黙祷が捧げられ、遺留品が1点1点窯の中に入れられた。遺留品は、いわき震災伝承みらい館に保管されていた。施設には、震災当時の資料などが展示されている。いわき市では、津波で流された持ち主不明のものを保管し返還する取り組みを進めてきた。津波で市内にあった自宅が全壊した遠藤さんは、震災後に生まれた子どもと一緒に施設を訪れた。見つけたのは、小学医のときにもらった柔道のトロフィー。震災があった春に新社会人となり、今では3児の父。遠藤さんは、子どもを同じ柔道会に入れようと思っているという。約5000点の遺留品が未だ保管されていた。受取に来る人が年々減少し、遺留品の劣化も進んでいることなどから、返還事業の終了が決まった。最後の返還期間となった先月に訪れていた坂本さんは、津波被害を受け、福島県内の避難先を転々としていたという。小中学校時代のアルバムを探しているという。遺留品のほとんどを占めるアルバムや写真は、実物を他の場所に保管され、探しやすいようにデジタル化されている。坂本さんの写真は見つけられなかったが、写真の中に兄の名前が見つかるなどして、坂本さんは来てよかったなどと話した。
いわき市内に住む永山さんは、小学校の卒業アルバムを見つけた。最後の返還期間中に、42点の遺留品が持ち主の元に戻ったという。返還事業をボランティアとして手伝っていた小野さんは、現在、語り部としても活動している。小野さんは地震が起きた後、自宅の2階にとどまった。津波は、2階まで流れ込んだが、小野さんは奇跡的に助かった。小野さんは、このとき避難しなかったことを後悔していて、語り部として伝え続けることを決めたという。返還期間の最後の日曜日、野田さんは遺留品が集められた部屋に入ることができずにいた。南相馬市の自宅にいた妻と2人の娘は今も行方不明のまま。野田さんは、遺留品を探そうと思いつつ探すのが嫌だった、見つからなくていいと思う反面、見つかってほしいとも思っているなどと話した。野田さんは約2時間後に遺留品の部屋に入ることができた。家族の思い出のものは見つからなかった。

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