坂上忍は児童劇団出身で、月謝を支払っていたといい、時代劇の撮影だと交通費、宿泊代を自己負担することもあった。9歳の頃、人気を博すも、父親はギャンブルで巨額の借金を抱え、母親は昼夜を分かたずに仕事をしていた。14歳で個人事務所を設立するも、悪いことが起きるたびに「やめる」とこぼしていた。怖いスタッフに囲まれて居心地が悪く、鬱屈とした芝居を演じるには役に立ったという。逆に笑う芝居は苦手で、チーフADが笑わせてくれようとした時には申し訳なく、涙してしまったという。実は6歳の時に歌手デビューしていて、シングル10枚、アルバム4枚をリリース。バンド活動していれば芝居の仕事はしなくて済むと考えていたが、態度は悪かったという。
20代後半で借金を完済した坂上は芸能界に身を置き続けたほうが楽と打算的に考えていた。2009年、子役専門スクールを設立。面接に際し、「子どもはいいけど、親御さんでNGというのが多い」と話す。22年、犬猫保護ハウスを設立。坂上は間接的な里親制度を提起した。団体に保護されている犬、猫を指名し、金銭的な支援をする制度だという。
20代後半で借金を完済した坂上は芸能界に身を置き続けたほうが楽と打算的に考えていた。2009年、子役専門スクールを設立。面接に際し、「子どもはいいけど、親御さんでNGというのが多い」と話す。22年、犬猫保護ハウスを設立。坂上は間接的な里親制度を提起した。団体に保護されている犬、猫を指名し、金銭的な支援をする制度だという。