三谷さんが持ち込んだ狩野芳崖の仏画は、スタジオで鑑定されることになった。狩野芳崖は、狩野派最後の巨人にして、近代日本画の父と謳われた絵師である。御用絵師の長男として生まれ、19歳で江戸に遊学し、勝川院雅信に入門した。橋本雅邦とともに、勝川院の龍虎と並び称された。長府藩の御用絵師となり、30歳のころから、禅の師匠の教えに感銘を受けて、芳崖と名乗るようになった。明治維新後は、藩が消滅して、困窮したが、第1回内国絵画共進会で、出品作がアーネスト・フェノロサの目に留まり、1886年の第2回鑑画会大会で一等を受賞した。不朽の名作「悲母観音図」を制作中、肺炎となり、死去し、絶筆となった。依頼品の仏画は、第18代天台座主・元三大師が鮮やかな色彩で描かれている。隠し落款として、芳崖の名が記されている。