- 出演者
- 福澤朗 今田耕司 菅井友香 森田正光
本日のゲストは気象予報士の森田正光さん。高校卒業後、日本気象協会に入り、ラジオやテレビ番組の天気コーナーに出演すると、難しい専門用語を使わないわかりやすく面白い解説でお茶の間に欠かせない存在となった。順風満帆なキャリアを積み重ねていたが、1994年に行われた気象予報士試験でまさかの不合格。その後、猛勉強し直しリベンジを果たした。天気キャスターとしては最年長の74歳。以前この番組に出演した2015年に鑑定を依頼したのは将棋盤だった。将棋専門店で60万円で売られていたものだったが、ところが評価額は10万円。日向榧ではなく、中国産だったため。森田正光さんがリベンジに挑む。
今回の依頼品は平田雅峰作の将棋の彫駒。掘ったところに漆で書いてあるとのこと。結果は35万円。鑑定結果は雅峰の作品に間違いないとのこと。雅峰の駒は名人戦を始め、数々の対局で使われており、材質も御蔵島の柘植でその中でも高級な部位を使っているため、彫りが鮮やか。
福助の本社を訪れる。次の依頼人は福助社長の坂本友哉さん。福助は明示15年に大阪・堺の足袋装束問屋として創業。足袋の製造にも着手し、明示28年には日本初の足袋用ミシンを開発。足袋業界に革命を起こした。販売促進戦略のパイオニアでもある。吉田茂元首相など著名人の足元も支えてきた。近年はファッション性の高い商品を手掛けている。
鑑定を依頼するお宝は人形。福助には創業以来の資料保管庫があり、創業以来の看板などが残されており、依頼品の人形もその1つ。しかし、長年保管庫にしまいっぱなしだったため、詳細は誰もわからないという。お宝は文楽人形3体。昭和初期に作られたものと社史で確認できるという。2008年に無形文化遺産に登録された文楽。元々は人形浄瑠璃という。物語の語り手と三味線奏者、人形遣いが三位一体となって作り上げる世界観は独特で他に類を見ない。その始まりは江戸時代前期。竹本義太夫が大坂道頓堀に竹本座という芝居小屋を建て、近松門左衛門と手を組み、語りと三味線で人形浄瑠璃の興行を打ったのが始まり。曽根崎心中が評判になるなど江戸中期には歌舞伎を凌ぐ人気となり、その演目が歌舞伎に取り入れられたほど。義経千本桜や仮名手本忠臣蔵は元々は人形浄瑠璃の演目だった。江戸後期になるとその人気に陰りが見えたが、植村文楽軒が私財を投じ、人形浄瑠璃専用の芝居小屋である文楽座を開き、精力的に興行を打ったことで活気を取り戻した。人形浄瑠璃が文楽と呼ばれるようになったのはこれに由来する。
文楽の最大の魅力は人形のリアルな動き。人形の材質は主にヒノキで丈は130~150センチほど。重さは3キロから10キロほど。頭の部分は取り替え可能で、役により化粧や髪型も変える。胴体はほぼがらんどうで、首は肩板に差し込み、手足はそれぞれ紐で繋がれている。これを3人1組となった人形遣いが操る。誕生以来、男性のみにより演じられてきた文楽だが、大正末期には若い女性が人形を操る文楽が誕生し、人気となった。それが乙女文楽。一番の特徴は1人で人形を操ること。人形を胴に固定し、耳紐で頭を、足金で両足を連結させて操作する。昭和初期には大いに盛り上がり、様々な一座が活躍。太平洋戦争により多くの人形が焼失し、存続の危機に陥ったが、戦後には有志により復興され、現在も公演が続けられている。依頼品は乙女文楽の人形3体。上下に福のマークが入った福助人形2体と姫人形が1体。傷みや汚れはあるものの、動きには問題ない。これらの人形は販売活動用の人形だったものと考えられる。
戦前のものとされる文楽人形。その値段は200万円だった。林直輝氏は昭和戦前のものに違いないと評価し、乙女文楽のものは希少性が高いだけでなく、特注品であることもポイントが高いとしている。これらの文楽人形は伝統的な演目をパロディーにして演じていたものと見られる。
今回は東京・世田谷区の成城に出張。ここは当時の成城学園(当時は成城第二中学校)が新宿から移転したことを契機に街が発展したことで知られ、小澤征爾らの母校として知られる。1927年に小田急線が開通すると、現在では東宝のスタジオが作られたことでも知られるようになっている。そして、現在は2028年にかけて成城100年祭というイベントが行われ、出張鑑定の招致を希望する声がアンケートでは最多数だったという。今日の司会は安東弘樹で、成城大学の卒業生となっている。
歌手・岩崎宏美さんは「スター誕生」に出演すると、その2年後の1975年に「二重唱(デュエット)」でデビューしている。そのお宝はサッカー日本代表のサイン入りユニフォームで、吉田麻也・長友佑都・遠藤航など2018年10月12日のパナマ戦の選手のサインが並んでいる。息子がサッカーに携わる中、山本昌邦さんからいただいたものだったという。10万円と予想していたが、評価額は50万円だった。山崎一美氏は堂安律や冨安健洋ら森保ジャパンの始まりとなる選手のサインも揃っているので価値が高いと紹介。
次の依頼者は土屋雅仁さん。弟とともにリフティングのパフォーマーとして活躍した経験があり、60歳を過ぎた今でもリフティングはお手の物。お宝は葛飾北斎の大黒天図で伯父から鑑定団があると話題になると譲ってもらったといい、伯父は70万円で購入したものだと聞いているという。本人評価額は300万円だったが、5万円だった。安河内眞美氏は線の作りは今ひとつだが、色使いは北斎にも近いと評した。
加藤靖久さんはハーレーダビッドソンを乗りこなしているという。お宝は61cmという高さの中国の壺だといい、家族は興味を示さないことで傘立てにされてしまっている。その中で冗談を言うことが殆どなかった父が突然100万円以上すると主張したことで鑑定に出すことに。しかし値段は2万円だった。中島誠之助氏は1960年代に中国・江西省景徳鎮で作られた土産物だが、伝統的技法は健在で十錦手は様々な絵の具を用いた手法が見られるのが特徴と紹介した。
田島さんが持ち込んだのは、狩野晴川院養信の三幅対で、松島・宮島・天橋立が描かれている。13年前に結婚した際、父からお祝いとして贈られたという。50年ほど前、成城の資産家の家でふすまの張替え工事を請け負った際、代金の一部として受け取ったものだという。本人評価額は、150万円。鑑定結果は、250万円だった。作品は本物で、公卿で歌人だった冷泉為則の歌も書かれている。
笹本さんが持ち込んだのは、楽家六代左入の黒楽茶碗と楽家九代了入の赤楽茶碗だ。茶道をたしなむ知人から、それぞれ100万円ほどで購入したという。本人評価額は、200万円。鑑定結果は、350万円だった。黒楽茶碗は、100万円。左入が作ったかどうかは断定できないが、楽家代々のいずれかの人が作ったことは間違いないという。赤楽茶碗は、250万円。了入の作品で間違いなく、貴重な天明の大火以前の作品だという。
三谷さんが持ち込んだのは、狩野芳崖の仏画。高祖父が手に入れ、現在は、祖父が管理している。色彩が鮮やかなところを評価しているが、本物かどうか自信はなく、本人評価額は、70万円だ。
三谷さんが持ち込んだ狩野芳崖の仏画は、スタジオで鑑定されることになった。狩野芳崖は、狩野派最後の巨人にして、近代日本画の父と謳われた絵師である。御用絵師の長男として生まれ、19歳で江戸に遊学し、勝川院雅信に入門した。橋本雅邦とともに、勝川院の龍虎と並び称された。長府藩の御用絵師となり、30歳のころから、禅の師匠の教えに感銘を受けて、芳崖と名乗るようになった。明治維新後は、藩が消滅して、困窮したが、第1回内国絵画共進会で、出品作がアーネスト・フェノロサの目に留まり、1886年の第2回鑑画会大会で一等を受賞した。不朽の名作「悲母観音図」を制作中、肺炎となり、死去し、絶筆となった。依頼品の仏画は、第18代天台座主・元三大師が鮮やかな色彩で描かれている。隠し落款として、芳崖の名が記されている。
依頼品「狩野芳崖の仏画」の本人評価額は、90万円。鑑定結果は、2000万円だった。作品は本物で、絶筆なった「悲母観音図」に続く貴重な作品だという。描表具という技法で丁寧に描かれているほか、偉人を描く場合は、落款を入れないものだが、画中画に落款が入っているのもポイントだ。
お宝鑑定依頼を募集していると紹介。