- 出演者
- 福澤朗 石田靖 今田耕司 菅井友香 林家三平[2代目] 西村知美
オープニング映像。
ラストエンペラー 溥儀に贈られた日本人形。満州国消滅後所在不明になっていたが、ついに発見か。収集歴25年焼き物コレクター自慢のお宝は桃山時代の幻の名碗。おもちゃ鑑定大会では珍品続出。
- キーワード
- 愛新覚羅溥傑
今田耕司が久しぶりに宿敵の片渕茜に会ったという。親族がダメ出ししてくれていたという。東京・台東区にあるねぎし三平堂。初代・林家三平のゆかりの品や貴重な資料を展示した記念館。本日のゲストはねぎし三平堂の堂長である2代目・林家三平。1970年、初代林家三平の次男として生まれ、大学在学中に林家こん平に入門。林家いっ平の名で落語に精進。31歳で真打に昇進。38歳で2代目林家三平を襲名。プライベートでは2011年に女優の国分佐智子さんと結婚。当時、三平さんはドラマ「水戸黄門」に出演しており、ある時会ったこともない国分佐智子が夢の中に。すると、2週間後、水戸黄門にゲスト出演することになり、運命を感じた三平さんはプロポーズ。最初は戸惑われたものの、熱意が伝わり交際期間2か月で婚約。ねぎし三平堂はコロナ禍で2020年から4年間休館となったが、今年4月にリニューアルオープン。
お宝として持ってきたのはねぎし三平堂で展示されている隕石。父である初代三平が亡くなった時に父親のファンがくれたものだという。もう1つはメノウ。2つ一緒に貰ったという。2つ一緒に使うと占いができるという。本人評価額は100万円だが、結果は3000円。隕石ではなく、テクタイトという天然のガラスだという。ショップなどでは黒隕石などの和名で呼んでいることもあるという。月の火山の隕石だったら150万円だという。三平は「気持ちもストーンと落ちました」などと落ちを付けた。
続いての依頼人は重石裕子さん。地元の神社の清掃を行う姿も見せていて、台風の日でも清掃は行っているのだという。重石さんのお宝はラストエンペラー・愛新覚羅溥儀に贈られた日本人形だといい、満州に住んでいた経験のある伯父夫婦が親戚から託されたものだと聞いているといい、日満親善人形使節が送ったものではないかといい溥儀が日本人形・使節とともに写真を撮影した様子も残されている。
華やかな着物を身にまとった日本人形は親善使節として海を渡ることもあったという。始まりは1927年に親日家の宣教師だったシドニー・L・ギューリックはアメリカの子どもたちから日本に約1万3000体の人形が親善のために贈られたこととなっている。当時のアメリカは不況から多くの人が失業する中、低賃金で働く日本人移民への批判が高まり、日本でも扱いを受けて反米の声が上がるなど険悪となっていたことがあり、ギューリックは互いの文化を尊重する精神が育てば対立は起こらなくなると考えて人形を寄贈する試みを行った。日本もこれを受けて58体の市松人形を贈り、全米各地で様々な歓迎イベントも行われるなどした。このイベントの評判を受けて、日本は現在のタイであるシャム国や、ハンガリー、ブラジルなどに日本人形を贈っていった。その中で満州国は清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀を執政とした日本の傀儡であり国際社会から孤立を深める状況にあったが、対等の国家であると印象付ける狙いがあったと見られすべての人形の胴には当時文部大臣だった鳩山一郎の筆による共存共栄の文字を木版摺りした紙がはられていた。使節には人形顧問として十世 山田徳兵衛も名を連ねていた。山田によると溥儀は使節団の少女に「風邪をひかぬように」と優しい言葉を懸けたとされる。人形は学校や陸軍病院にも贈られ、19日に及ぶ長旅を行ったとされる。しかし、1945年を迎えると日本の敗戦に伴い満州国は消滅し、人形の行方は不明となっている。そして、依頼品の市松人形にも胴には「共存共栄」の文字が見られ、これまで満州に渡っていた人形は1体も戻ってきていないことから本物であれば大発見となる。
愛新覚羅溥儀に贈られた日本人形の本人評価額は、30万円。鑑定結果は、100万円だった。当時104体がつくられ、これは、満州に贈られた約60体のうちのひとつだという。満州に渡った人形は、これまでひとつも見つかっておらず、貴重な一体だという。溥儀に贈られた人形ではないが、歴史的な資料としての価値が大きいという。
第27回おもちゃ鑑定大会。ゲストコメンテーターの西村知美は、おもちゃは、時代の流行りや技術がてきめんに出てくる、見ていてわくわくするなどと話した。
杉原さんが持ってきたのは、ブリキの機関車。おもちゃ製造工場を経営していた祖父が1960年代ごろに作っていたものだという。本人評価額は、30万円。鑑定結果は、10万円だった。1962年、マスダヤから発売されたもので、台に「第一回金賞受賞製品」と書かれていることから、実績第1位の商品だという。
レトログッズコレクターの児子さんが持ってきたのは、ペコちゃんのソフビ人形だ。青いスモッグを着ていて、服に書かれた文字は縦書き。40年ほど前、ハワイのフリーマーケットで見つけ、約1000円で購入したという。本人評価額は、10万円。鑑定結果は、20万円だった。昭和30年代くらいのもので、入園や入学に合わせて、不二家が作り、店舗に1個か2個ぐらいしかなかったという。手塗りで、むらがあるところが味だという。
杉浦さんが持ってきたのは、ブリキのバス。1950年代、民生デイゼル工業が製造していたバスがモデルになっている。本人評価額は、30万円。鑑定結果は、20万円だった。1957年に、萬代屋が作ったもの。パーツが細かく再現されているという。
大本京さんの父・大本恭敬さんは西城秀樹さんをはじめ、日本の歌謡史を彩った数々の歌手を指導したヴォイストレーナーの第一人者。当初はレッスンを自宅で行っていたため、ファンが自宅の周りに1000人くらい集まったという。実は西村知美も教え子の一人。レッスンはアメと鞭だったという。お宝はクラッシックカーのミニカー194台。世界各国のメーカーのものが揃っている。約40年前、父があるプロダクションの方から新人歌手数名のレッスンを依頼され受け持つことに。しかし、納めがなかった。1年間のレッスンが終わる頃、1年分のレッスン料としてミニカー194台を持ってきた。本人評価額は1年間のレッスン料と同じ100万円。査定額は58万円。1950~1970年代に作られたもの。ただし元々人気がない。第一条件として人気があるかないか。二番目はコンディション。後はオリジナルの箱が付いているかどうか。中には壊れているものも。ドライバーが付いていれば1万円のものが2万円になることも。
去年スタジオに登場した佐藤知可さん。その時のお宝は息子さんがフリーマーケットで1万円で購入したブリキのロボットカーだった。実は息子さんは筋金入りのおもちゃコレクター。息子はもし安ければ実家のコレクションを全て整理する、佐藤さんはもし高ければコレクション部屋をもう一部屋用意すると約束。ロボットカーが50万円以上なら息子さんの勝ちだが、査定額は100万円と息子さんの勝利。今回のお宝はブリキのピエロ。息子さんが7年前に海外のオークションサイトで3万円ほどで落札したもの。付属のディスクをセットすると動く仕組み。ディスクを変えることで別の曲も楽しむことができる。本人評価額は10万円。10万円以上なら息子さんの勝ちでコレクションは現状維持。10万円未満なら佐藤さんの勝ちで部屋を返してもらうことに。
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- きよしこの夜東京都開運!なんでも鑑定団
ブリキのピエロが、10万円以上なら息子さんの勝利、10万円を下回れば佐藤さんの勝利。査定額は10万円。かろうじて息子さんの勝利。1930年代のものだという。状態も良く、ディスクも揃っている。
依頼人・栗原博さん。収集歴25年の焼物コレクターでコレクション数は約300点。骨董を始めた頃に通い始めた教室があり、その先生を師匠と決めて楽しみながら集めたものだという。各地の骨董市を巡ったり、ネットオークションをチェックして収集。買った中で自信のある焼物は先生に見てもらい審美眼を養ってきたそう。先生は今年亡くなり、教室は終わってしまったが、先生の教えを胸にこれからも骨董は続けていきたいと語った。お宝は焼物好きなら一度は憧れる桃山時代の素晴らしい茶椀。去年の秋にネットオークションで発見したもので一目で本物だと確信。出品者は凄いものだと分からずに普通の茶椀として出品していたために落札することができた。
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- 江戸川区(東京)
古唐津の奥高麗茶碗は福岡のリサイクルショップで茶碗として売られていて3万円で落札し、古唐津のものは裏の土が経年劣化で手にしっくり来ると紹介。陶芸家の加藤唐九郎は奥高麗茶碗についてどこも素直に作ってあって下手なように見えるが下手じゃない等と話している。奥高麗は古唐津の中で最も評価の高い茶碗で、16世紀末に挑戦から渡来した陶工たちが岸岳に工場を開き、それまで日本になかった蹴轆轤や登り窯を導入して日用雑器を作り、文禄・慶長の役以降は多くの朝鮮人陶工が渡来して飛躍的な発展を遂げた。茶人たちが最も好んだのが奥高麗茶碗で、ふっくらと丸みを帯びで口の端がやや外に開いているのが特徴だと紹介。依頼品は高さ9cmで口径は15.5cmで胴は丸みを帯びで口の端は外に広がっている。
奥高麗茶碗とみられる物を鑑定したところ、価値は3万円であった。中島誠之助は奥高麗ではなく近代の唐津焼で、時代性を持っている重厚感がなく奥高麗の土はもっと粒子が細かくネットリ感がある等と話した。
お宝鑑定依頼を募集していると紹介。