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「再生不良性貧血」 のテレビ露出情報

池江の取材を始めたのは中学3年生の頃。日課は家に設置されたうんてい。2016年リオデジャネイロオリンピックに最多7種目で出場。池江がもつ11もの日本記録は今も破られていない。2019年2月に白血病と診断されたことを明らかにした。池江から届いたメッセージには「まだまだこれからのはずでした。でも必ず戻ってきます。待っててください」と書かれていた。
1月10日、年末に退院した池江のもとをディレクターが訪ねた。病気は寛解しているが再発を防ぐために1日20錠ものくすりを服用しなければならない。10ヶ月の入院生活は生きているのがしんどいと感じるほど過酷だったという。19歳の誕生日も病室で迎えた。9月には血液のもととなる細胞の移植を受けた。同じ病院で仲良くなった吉田さんは再生不良性貧血を患っている。吉田さんは「皆さんにはいつでも明るいイメージがあると思うんですけど落ち込むこともあって、でもこれだけつらいことがあったらこれから何でも乗り越えられるよねとかずっと話してました」と語った。自宅でトレーニングを再開すると、筋力や体力が失われていることに気づいた。池江はKing Gnuの白日を聴いて「真っ新に生まれ変わって人生一から始めようって思った」と明かした。
東京オリンピックへの夢が絶たれたときに池江は「もう頑張らなくていいんだと思ってしまった」と明かした。スポンサーの展示会に出席した池江は「また皆さんの前で笑顔を見せられるように精一杯頑張っていきたいと思います」と語った。家でのトレーニング中、体調不良を訴えた池江は「いまの自分には人を勇気づけることとか感動させることってできないし。泳いでなければ何もない人間なのかな」と語った。水泳以外の生活を楽しんでみることを考えた池江は通えていなかった大学の授業に参加した。ショッピングも楽しんでみるが、そんな生活に物足りなさを感じていた。
水中出産でこの世に生を受けた池江。3歳で水泳を始め、5歳で4つの泳ぎすべてを習得した。病院での診断の結果、プールへの復帰は先延ばしとなった。池江は「人間って当たり前にやっていたことができなくって、またそれができるようになったときすごい幸せを感じるんだなって思って」と語った。免疫力を高めるためにトレーニングをした。病気が発覚して1年後にはトレーニングに復帰していた。池江はこの日を人生の記念日とした。新型コロナウイルスの影響で献血をする人が減っていると聞いた池江は献血の協力を呼びかけた。当初は一回もできなかった懸垂ができるようになり、腕立て伏せも10回できるようになった。そして東京オリンピックを目指す選手たちのマネージャーを買って出ることにした。池江は「また泳げるようになったら今度は自分と同じような経験をしてる人達に勇気を与えたい」と語った。
プールに入ることを許可された池江。池江は「水泳をはじめたらそれが当たり前になるんだろうなって思います。でも泳げなかった時期のことは絶対に忘れない」と語った。3月17日、いよいよプールに入った池江は「めっちゃ気持ちいいんだけど やばい。楽しい」と喜んだ。ビート板を使って19秒41で泳ぎきった。
東京オリンピックの延期が決定。池江は選手たちの気持ちがわかると語った。再びプールを離れることとなった池江だがこの状況を「日常生活に対しての感謝っていうのを考えさせられたって感じ」と悲観してはいなかった。プールにもどったときの映像を受け取った吉田さんは「この先 生きるための力になります」「大好きな水泳をずっと続けていってほしい」と語った。池江は「結果うんぬんよりもどん底まで行った人間がここまで上がってきたっていう成長をちょっとずつでもいいから見せていければいいんじゃないかなと思います」と語った。

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