日航機墜落事故から40年。群馬県警の内部捜査資料を入手。135日間の警察官たちの苦闘が記録されていた。事故の一報があり、群馬県警は消息場所不明のまま捜索対応を迫られた。当時鑑識課員だった松本勝彦さんも急遽招集され、上野村に向けて出動。警視庁や埼玉県警なども応援に駆けつけた。報道各社も墜落地点の情報に混乱していた。8月13日早朝、上空から撮影されたのは想像を絶する光景だった。123便の機体は飛び散り、一面焼け野原に。墜落現場は後に御巣鷹の尾根と呼ばれる無名の尾根だった。自衛隊員が空から降下して救助活動を開始。地上部隊で最初に墜落現場に到着した中にフジテレビの報道記者もいた。4万平米に及ぶ墜落現場は最大傾斜度45度。4人の生存者が救助された。123便が接触したのは第1現場から第4現場まで4か所。機体の散乱は広範囲にわたり、鑑識活動もエリアを分けて行われた。県外からの応援を受け、2000人超の警察官が墜落事故に対応。自衛隊が一晩でヘリポートを建設し、事故から5日で481体の遺体を回収した。遺体収容場所となった藤岡市民体育館で身元特定の検視が行われた。遺体捜索は3か月に及び、わずかな遺品も山に残さないという思いがあった。12月11日までに518人の身元が確認され、身元不明者2人を含め、520人全員が収容された。12月24日、事故対策本部が解散。総出動警察官6万7631人、活動期間135日。群馬県警は日本航空とボーイング社を送致した。
住所: 群馬県前橋市総社町1-9-3
URL: http://www.police.pref.gunma.jp/gp/police/maebashi/
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