大阪市出身の坂田利夫さんは、1964年に吉本新喜劇に入団した。1967年に、前田五郎さんと漫才コンビ「コメディNo.1」を結成し、30年以上第一線で活躍をした。しかし、師匠と呼ばれるようになっても、「アホ」であり続けることはやめなかったという。坂田さんが娘のようにかわいがっていた前田まみさんは「会うといつもお小遣いくれたり、心配してくださった。小さい頃から見てくれるお父さんの優しさみたいなのを感じた」などと話した。また、坂田さんが独身を貫いていたのは、もし子どもができて学校で「アホの子どもや」といじめられても、辞める勇気を持てなかったからだという。間寛平さんは「坂田さんは『アホは可愛がってもらわないといけない。普通の人よりは下にいないといけない』といつも言っていましたね」などと話した。