加藤登紀子は昨年末で81歳に。101歳で亡くなった母は80歳の頃に仕事を休むよう勧めたという。デビューから「ひとり寝の子守唄」までは全部、母が衣装を作ってくれたという。実家を出ると言ったら「洋服は置いていけ」と言われたという。父が加藤に黙ってシャンソンコンクールに申し込んだ。それからシャンソンを練習して、65年に優勝してデビューした。当時は演歌・歌謡曲の全盛期だったのでムード歌謡でデビューした。「なんでこんなつまんない
曲を」と違和感を感じていた時に、ディレクターに自分で曲を書くように言われたという。
曲を」と違和感を感じていた時に、ディレクターに自分で曲を書くように言われたという。