元号は平成となった。保守政党としての転換点だった。中選挙区制が金権政治を招くなどとして小選挙区制を求める声が政界で高まった。自民党内には反発の声があった。この小選挙区制という選挙制度は執行部独裁制を作ってしまうという声があった。総裁と幹事長がほぼ公民権を握るために、誰も反対を唱えられなくなってしまうと言っていた。自民党は分裂。細川護熙内閣が誕生。自民党ははじめて野党へ転落した。翌年、細川護熙総理大臣のもと、小選挙区制の導入が決定された。ここから党執行部の権力が強まった。橋本龍太郎氏、小渕恵三氏と吉田路線が主流派になった。ここで鳩山一郎路線の森喜朗総理が誕生。森内閣への不信任案が出された。加藤紘一氏、山崎拓氏が賛成にまわろうと画策。世にいう加藤の乱。党執行部の野中広務幹事長は、党として看過できないと述べた。除名処分はもちろんだという。野中広務幹事長は鎮圧をはかった。万策尽き、ひとりで賛成票を投じに向かおうとした加藤紘一氏。しかし、失敗。強権をさらに加速させたのは小泉純一郎氏。熱狂的な支持を受けた小泉純一郎総理大臣。郵政民営化に反対した党員は公認せず、。刺客を送り込んだ。刺客のひとちは小池百合子氏。政治の世界から抹殺するような行為が行われたと小林興起氏は述べた。野田聖子氏も郵政民営化に反対。かつて造反者すら公認した寛容の精神があった自民党。しかし分断の論理となった。のちに小泉純一郎元総理大臣は、小選挙区には反対していたが、しかし、総理になってから小選挙区の恩恵を受けたと語った。小選挙区だったから郵政民営化ができたという。
