北陸朝日放送 輪島支局の小田原寛カメラマンは生まれも育ちも石川県輪島市。能登半島地震んで小田原さんの家は半壊。裏山の斜面は、崩れかけたままで危険と隣り合わせの状況で自宅の修理を進めている。揺れを感じ自宅を飛び出した小田原さん。能登半島地震では輪島市などで最大震度7に。小田原さんは集落の安全を確認しながらカメラをまわした。暗くなると、朝市通りでは火災が発生。輪島市では196人が死亡し、2万2000棟以上の建物が被害に。発災翌日も撮影を続けた小田原さん。倒れたビルの奥に家族を助けだそうとする男性がいた。その様子を撮影するかどうか悩んでいたという。しかし、被災地の現実を伝えようと撮影しようと決意した。しかしその交渉をしたがその撮影をよく思わない被災者に怒号を浴びた。小田原さんはそのことでまるで犯罪者のよに悪いことをしているような気持ちになってしまい、こうした現場でカメラを向けるのは相手を苦しめる行為だったと語った。
小田原さんの妻は帰宅した夫の様子を覚えているというが泣いていたと答えた。復旧は思うようには進まず。小田原さんの父は軽度の認知症で、避難所での生活が難しくなり、輪島市から50キロ離れた羽咋市の福祉施設に入居している。車で往復2時間、一時帰宅のために小田原さんは仕事の合間に送り迎えをしている。父と向き合う、生活を立て直すこと、あの日、投げかけられた被災者の言葉。カメラマンとしての仕事から少しずつ遠ざかっていた。カメラマンである前に輪島市に住む一人で、故郷を支えるために動き出した。漏水舌場所を突き止めてほしいという友人からの依頼に答えたがそのお礼はご飯だった。
次に自宅に倒れかかった建物を撤去してほしいという依頼もこなし、重機など復旧作業に必要な資格は取得した。自分の行動によって前を向いてくれる人達がいる。しかし、地震に続き豪雨が輪島市を襲った。
小田原さんの妻は帰宅した夫の様子を覚えているというが泣いていたと答えた。復旧は思うようには進まず。小田原さんの父は軽度の認知症で、避難所での生活が難しくなり、輪島市から50キロ離れた羽咋市の福祉施設に入居している。車で往復2時間、一時帰宅のために小田原さんは仕事の合間に送り迎えをしている。父と向き合う、生活を立て直すこと、あの日、投げかけられた被災者の言葉。カメラマンとしての仕事から少しずつ遠ざかっていた。カメラマンである前に輪島市に住む一人で、故郷を支えるために動き出した。漏水舌場所を突き止めてほしいという友人からの依頼に答えたがそのお礼はご飯だった。
次に自宅に倒れかかった建物を撤去してほしいという依頼もこなし、重機など復旧作業に必要な資格は取得した。自分の行動によって前を向いてくれる人達がいる。しかし、地震に続き豪雨が輪島市を襲った。
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