2025年4月5日放送 4:50 - 5:20 テレビ朝日

テレメンタリー2025
「カメラを止めた、あの日ー被災者を撮るということー」

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(オープニング)
オープニング

オープニング映像。

テレメンタリー2025
カメラを止めた、あの日ー被災者を撮るということー

北陸朝日放送 輪島支局の小田原寛カメラマンは生まれも育ちも石川県輪島市。能登半島地震んで小田原さんの家は半壊。裏山の斜面は、崩れかけたままで危険と隣り合わせの状況で自宅の修理を進めている。揺れを感じ自宅を飛び出した小田原さん。能登半島地震では輪島市などで最大震度7に。小田原さんは集落の安全を確認しながらカメラをまわした。暗くなると、朝市通りでは火災が発生。輪島市では196人が死亡し、2万2000棟以上の建物が被害に。発災翌日も撮影を続けた小田原さん。倒れたビルの奥に家族を助けだそうとする男性がいた。その様子を撮影するかどうか悩んでいたという。しかし、被災地の現実を伝えようと撮影しようと決意した。しかしその交渉をしたがその撮影をよく思わない被災者に怒号を浴びた。小田原さんはそのことでまるで犯罪者のよに悪いことをしているような気持ちになってしまい、こうした現場でカメラを向けるのは相手を苦しめる行為だったと語った。

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小田原さんの妻は帰宅した夫の様子を覚えているというが泣いていたと答えた。復旧は思うようには進まず。小田原さんの父は軽度の認知症で、避難所での生活が難しくなり、輪島市から50キロ離れた羽咋市の福祉施設に入居している。車で往復2時間、一時帰宅のために小田原さんは仕事の合間に送り迎えをしている。父と向き合う、生活を立て直すこと、あの日、投げかけられた被災者の言葉。カメラマンとしての仕事から少しずつ遠ざかっていた。カメラマンである前に輪島市に住む一人で、故郷を支えるために動き出した。漏水舌場所を突き止めてほしいという友人からの依頼に答えたがそのお礼はご飯だった。

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次に自宅に倒れかかった建物を撤去してほしいという依頼もこなし、重機など復旧作業に必要な資格は取得した。自分の行動によって前を向いてくれる人達がいる。しかし、地震に続き豪雨が輪島市を襲った。

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2024年9月には能登豪雨が発生。地震からの復旧が進む中での豪雨。輪島市では11人が死亡した。1500棟以上の建物が被害にあった。小田原さんはおよそ4ヘクタールの田んぼでコメを作っていたが、収穫を前に全て水に浸かった。重機をつかって用水を整備し水を通すところから行う。復旧には2000万円かかるという。石川県七尾市では地元との小学生と新潟県長岡市の小学生が募金を行い花火を打ち上げた。能登半島の広い範囲を小田和さんが取材している。輪島市の人口は2万1903人から1万9615人に減少した。建物の公費による解体が今年に終わる予定。民間のアパートなど、仮設住宅とみなし自治体が負担する制度えは原則住むことができるのは2年間。地震から1年、当時の記憶を語りだした遺族がいる。

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寺本さんは土砂崩れで妻の実家が流され妻と4人の子どもと親族10人を亡くした。仕事のあとに合流する予定だった寺本さんは発災から4日後に穴水町の現場い到着し、そこからカメラの前に立ち続けた。寺本さんはメディアで家族が避難していないかどうか力を借りたかったと語り、助けてほしかったと語る。その後10人の身元がわかってからは取材を断って来たという。今回応じたのはどこでどうなるかわからない現実がある中で生きている間遺族のことを伝えられるのは自分しかいないと答えた。楠健二さんはあの日小田原さんのカメラの向こうにいたが、妻と長女を失ったという。輪島市の自然に魅了されて移住し飲食店を営んでいたがかつて住んでいた川崎市に戻り飲食店を再会。名前は輪島市のときと同じ名前。食材やおしぼりなども全て能登地方かた取り寄せている。輪島市を離れてからは取材を受けるようにしている。楠さんと向き合ったビルの倒壊現場は重機が入り取り壊された。小田原さんは被災地の今、被災者の営みを取り続けている。

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(エンディング)
エンディング

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