山梨県南部町。里見浩太朗の本名は佐野邦俊。実家の佐野家はこの集落にあった。この集落のほとんどが佐野姓。佐野家の歴史は、戦国時代まで遡る。初代・佐野光次は武田信虎に使えた武将。郷土史を研究する佐野辰巳さんは、代々武田に使えて武田の家臣としてこの村に住み着いた佐野一族と語る。祖父・佐野勝三郎は、農業・林業に加え商店を営んでいた。国の専売事業だった塩の販売を許されている。ハワイに出稼ぎに行く親戚の保証人になったときの書類には、勝三郎の資産が千円と書かれていおり、現在の価値で2000万円になると言われている。明治37年の元日、亀一が生まれる。亀一の小学校時代の記録として、成績優秀な生徒に贈られる証書があった。亀一のめいに当たる佐野うめのさんは、亀一に勉強を見てもらったことを覚えている。
19歳になった亀一は陸軍に志願する。亀一の長男、里見浩太朗の兄・佐野要さんが、亀一に付与された軍隊手帳を見せてくれる。近衛歩兵第二連隊に配属された亀一。防衛研究所 戦史研究センターの原剛さんは、近衛歩兵第二連隊について「性格や家柄が考慮されて選ばれる」などと語った。大正12年9月、関東大震災が起きる。亀一は皇居周辺の警備にあたったと記されている。翌年8月、亀一は東京憲兵隊への転属を命じられた。憲兵には多くの特権が与えられていた。
19歳になった亀一は陸軍に志願する。亀一の長男、里見浩太朗の兄・佐野要さんが、亀一に付与された軍隊手帳を見せてくれる。近衛歩兵第二連隊に配属された亀一。防衛研究所 戦史研究センターの原剛さんは、近衛歩兵第二連隊について「性格や家柄が考慮されて選ばれる」などと語った。大正12年9月、関東大震災が起きる。亀一は皇居周辺の警備にあたったと記されている。翌年8月、亀一は東京憲兵隊への転属を命じられた。憲兵には多くの特権が与えられていた。
