若林は50歳を迎えたという。野心についてアンミカは53歳だが年齢を重ねてから求められることが多くなったという。また年齢にとらわれず年齢は背番号だと思うようにし、誰かのために命を使って行くことをしてみたいと答え自分のしたことで誰かを元気にしたいという。また若い頃は全く売れることがなかったと語ったが自分からパリコレに出演し20代でチャンスを掴んだが人生相談のテレビ番組に出演していたという。しかしその後上手くいかず自分の人生は大きな波があると答えた。そんな波を経験したアンミカだが、売れていると感じる状態はどんなときか?には毎日求めてもらって活かしてもらい、楽しかったと思えそんな日々があることがありがたいと思う時だという。小籔はアンミカについて自らあえてしんどい場所に勝負にいき、歯を食いしばった結果なので、ある程度頑張らなければ見えない光景だと語り、ふんぞり返ってアンミカのポジティブカレンダーをめくっても何も変わらないと答えた。
小籔は若い頃と今の50歳のエンジンのかかり方については自分よりも年上の先輩がまだまだ山の中腹にも行っていないとの発言を聞いたが自分はそれよりも上で休憩していると思っていたという。自分がいかにぐうたらかなのかを思い知ったと答え、向上心があったのは貧乏なときしかなかったという。また真の芸人になりたいなら結婚をするべきではないと答えたが自分の場合は普通の職業に就くような人が芸人をしている感覚だと答えた。また小籔は昨年のM-1でムーディー勝山とコンビで出場したが小籔はその時が唯一芸人だったと答え、自分はコンビを組んでいたがそれも解散し、お金だけがほしいと思いながら最初の頃は芸人をしていたという。しかし芸人が情熱を込めて行っているM-1にでてみたいと思っていたという。その思いを15年間抱えていたが一度嫌われてもいいのででてみようと思えたという。しかし準々決勝は死ぬほどスベったと答え、そのあまりのスベリ様に相方のムーディー勝山も台詞を間違え自分にいたっては本当にM-1ありがとうございましたと言っていたという。
小籔は若い頃と今の50歳のエンジンのかかり方については自分よりも年上の先輩がまだまだ山の中腹にも行っていないとの発言を聞いたが自分はそれよりも上で休憩していると思っていたという。自分がいかにぐうたらかなのかを思い知ったと答え、向上心があったのは貧乏なときしかなかったという。また真の芸人になりたいなら結婚をするべきではないと答えたが自分の場合は普通の職業に就くような人が芸人をしている感覚だと答えた。また小籔は昨年のM-1でムーディー勝山とコンビで出場したが小籔はその時が唯一芸人だったと答え、自分はコンビを組んでいたがそれも解散し、お金だけがほしいと思いながら最初の頃は芸人をしていたという。しかし芸人が情熱を込めて行っているM-1にでてみたいと思っていたという。その思いを15年間抱えていたが一度嫌われてもいいのででてみようと思えたという。しかし準々決勝は死ぬほどスベったと答え、そのあまりのスベリ様に相方のムーディー勝山も台詞を間違え自分にいたっては本当にM-1ありがとうございましたと言っていたという。