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「吉田茂元首相」 のテレビ露出情報

福助の本社を訪れる。次の依頼人は福助社長の坂本友哉さん。福助は明示15年に大阪・堺の足袋装束問屋として創業。足袋の製造にも着手し、明示28年には日本初の足袋用ミシンを開発。足袋業界に革命を起こした。販売促進戦略のパイオニアでもある。吉田茂元首相など著名人の足元も支えてきた。近年はファッション性の高い商品を手掛けている。
鑑定を依頼するお宝は人形。福助には創業以来の資料保管庫があり、創業以来の看板などが残されており、依頼品の人形もその1つ。しかし、長年保管庫にしまいっぱなしだったため、詳細は誰もわからないという。お宝は文楽人形3体。昭和初期に作られたものと社史で確認できるという。2008年に無形文化遺産に登録された文楽。元々は人形浄瑠璃という。物語の語り手と三味線奏者、人形遣いが三位一体となって作り上げる世界観は独特で他に類を見ない。その始まりは江戸時代前期。竹本義太夫が大坂道頓堀に竹本座という芝居小屋を建て、近松門左衛門と手を組み、語りと三味線で人形浄瑠璃の興行を打ったのが始まり。曽根崎心中が評判になるなど江戸中期には歌舞伎を凌ぐ人気となり、その演目が歌舞伎に取り入れられたほど。義経千本桜や仮名手本忠臣蔵は元々は人形浄瑠璃の演目だった。江戸後期になるとその人気に陰りが見えたが、植村文楽軒が私財を投じ、人形浄瑠璃専用の芝居小屋である文楽座を開き、精力的に興行を打ったことで活気を取り戻した。人形浄瑠璃が文楽と呼ばれるようになったのはこれに由来する。
文楽の最大の魅力は人形のリアルな動き。人形の材質は主にヒノキで丈は130~150センチほど。重さは3キロから10キロほど。頭の部分は取り替え可能で、役により化粧や髪型も変える。胴体はほぼがらんどうで、首は肩板に差し込み、手足はそれぞれ紐で繋がれている。これを3人1組となった人形遣いが操る。誕生以来、男性のみにより演じられてきた文楽だが、大正末期には若い女性が人形を操る文楽が誕生し、人気となった。それが乙女文楽。一番の特徴は1人で人形を操ること。人形を胴に固定し、耳紐で頭を、足金で両足を連結させて操作する。昭和初期には大いに盛り上がり、様々な一座が活躍。太平洋戦争により多くの人形が焼失し、存続の危機に陥ったが、戦後には有志により復興され、現在も公演が続けられている。依頼品は乙女文楽の人形3体。上下に福のマークが入った福助人形2体と姫人形が1体。傷みや汚れはあるものの、動きには問題ない。これらの人形は販売活動用の人形だったものと考えられる。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年9月15日放送 19:58 - 20:56 テレビ朝日
ポツンと一軒家沖縄県のポツンと一軒家
沖縄県のポツンと一軒家を訪ね、主の親寄さんに話を聞いた。親寄さんは麓の集落で6人兄弟の長男として生まれ、4歳のときに沖縄は太平洋戦争の戦場となった。親寄さんは戦闘機の種類で音が違った、防空壕の歌を教えられていたと話した。戦後、住民の食料は米軍によって配給された。ポーク缶やチョコレート、アイスクリームが美味しかったと話した。連合国による占領が終わっても沖縄は2[…続きを読む]

2024年9月14日放送 20:00 - 20:54 テレビ朝日
池上彰のニュースそうだったのか!!(池上彰ニュース解説 これくらい知っておこう!!)
自民党総裁選は国会議員票367票と党員票367票で投開票となるが、党員は100万人以上いるため1人1票とはいかない。党員が3000人いて国会議員1人分にしかならない。1回投票して過半数になれば当選となるが、過半数に届かなければ上位2人で決選投票が行われる。決選投票は国会議員が1人1票で367票と都道府県票が47票。都道府県票は党員・党友が投票した結果、上位2[…続きを読む]

2024年9月6日放送 10:25 - 13:00 テレビ朝日
大下容子ワイド!スクランブル(ニュース)
午前11時、自民党・小泉進次郎元環境大臣が総裁選への立候補を表明した。昨日、明日告示の立憲民主党代表選に既に出馬を表明していた野田佳彦元総理大臣が自らの政策を発表した。1度、総理を経験した野田氏が再び総理となれば戦後では吉田茂氏、安倍晋三氏に次いで3人目となる。野田氏は大のプロレスファン。

2024年9月2日放送 19:00 - 21:54 テレビ朝日
クイズプレゼンバラエティーQさま!!(47都道府県 約1万5千人に大調査!わが県のNo.1偉人ランキング)
福島県の偉人5位は誰?正解は円谷英二。続いて吉田茂にまつわる問題や徳川慶喜にまつわる漢字の問題などが出題された。

2024年8月22日放送 23:50 - 0:35 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀 バタフライエフェクト)
1945年8月14日、日本の降伏により3年8ヶ月に及んだ太平洋戦争が終結。勝者となったアメリカは日本へ占領軍を送り込み、8月30日には1万3000人の兵士が横浜へと上陸する。同じ日の午後2時、占領軍の輸送機が物資を運び込んでいた厚木飛行場に連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサーが降り立った。日本兵は天皇の護衛に当たる時と同じ様に、彼に背を向けて出迎えたと[…続きを読む]

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